対談 あの世はあるのか?禅僧はどう答えるか!(2)
あるのでもないのでもない中有の世界
司会
先ほど小野崎さんのほうから中有ということばが出ましたが、玄侑さんは芥川賞作品の『中陰(ちゅういん)の花』という小説で、あの世とこの世の中間にある中有(=中陰)という不思議な世界をテーマにしておられますね。それはどう理解したらいいものなんでしょうか。
玄侑
そうですね。例えで言えば、「逃げ水」というのがありますよね。アスファルト道路の先に水たまりが見える。しかし、近くに行ってみたら何もない。では、それは錯覚かというとそうでもない。見えたことは事実であり、しかし現実には存在しない。そんなふうな、あるのでもないのでもない、中有という変な在り方もあるということです。
最近では物理学者たちが、われわれが目に見たり感じることの出来るこの宇宙のほかに、もう一つ別な宇宙があるのではないかと言い出していますね。そう考えないと割り切れないことが科学の世界でもあるようです。それに、われわれの身体というのは死んで火葬になっても原子・素粒子レベルではなにも失われないんですね。物質がエネルギーに変わっただけですから、身体はなくてもエネルギーだけで成り立っている世界もあるかもしれない。あるいは複雑系といて、数学的に割り切れないカオス(混沌)理論というものも今注目を集めている。
ところが日本人は明治以降、盲目的に静養の合理精神を受け入れた結果、理屈で説明できない存在や現象をすっかり否定してしまうようになった。例えば、山で誰かが木を倒したような不思議な音がしたとします。しかし、翌日そこに行ってみても木は倒れていない。そこで昔の人々は、これはきっと天狗のしわざに違いないと考えた。天狗はそこで生きていたわけです。あるいは河童というようなものもそうですね。それが次第に、世の中は頭で理解できることしか起こらないんだという流れになって、日本人はあちこちにいた妖怪を滅ぼしてきた。理解できないことにタイする日本人特有の包容力を削りとってしまったわけです。
小野崎
わたしもじつは不思議な体験をしたことがあります。あるお檀家の葬儀が終わって火葬場に行ったとき、別の檀家のおばあちゃんが喪服を着て現れて、ごぶさたしておりますと挨拶をするんですね。わたしはおばあちゃんとは喪家と何か縁故があったのかなと思っていた。ところが、しばらくして、おばあちゃんが今亡くなりましたという知らせが入った。おばあちゃんが火葬場に表れるはずはないというわけです。
それから、こういうこともあります。家庭になにか不幸が続いたりすると、街の祈祷師や拝み屋さんに相談する人も多いですね。それで、お宅の何代目の先祖が成仏していないからそれが霊障(れいしょう)となっているなどと言われる。それでお寺に来て相談されるわけです。そのときにですね、そうしたことは根拠のないことだから、こちらではお断りしますと言ってしまうと、その人は不安を抱えたままになってしまいますね。まず安心させてあげるということが坊さんの仕事ですから、お経をあげて、供養を心がけてと話をして帰っていただく。そうすると不思議ですね、それから全然変なことが起こらなくなりましたという人が多いんです。現実にそうなんです。
司会
その人が安心したからでしょうか?
玄侑
それは、心の中だけの問題ではないかもしれませんよ。もしかすると、お経がちゃんと効いているのかもしれない。そうした理屈では理解できないことというのは、たくさんあるんです。
たとえばスイス生まれの精神科医キューブラー・ロスは、臨死体験の研究で世界的に有名な人ですが、こんな報告をしています。彼女は大勢の臨死状態の人に立ち会って、彼らがどんな体験をするのか研究しているうちに、どうしても理解できない事実にぶちあたった。それは臨死状態のたおき、人の姿が現れるという患者が多いわけですが、現れるのはすべて既に亡くなった人で、生きている人は現れないということです。こんな事例もあったそうです。まだ小さい子どもが意識不明に近い臨死状態になった。子どもですから、ふつうに考えれば大好きなお母さんの姿が意識のなかにあらわれても不思議はない。ところが、現れたのはその子の兄だったんです。おかしいなと思っていると、その子の兄が2時間ほど前に交通事故で死んでいたことがあとで分かったというんです。日本風にいうとお迎えに来たというか、死んだ人でないと死に行く人の枕元には立たないんですね。
私は興味があって、こうしたことをいろいろ調べたりしますが、でも基本的には、分からないことは分からないというところに留まりたいと思っています。
徳行を積むことこそが最高の供養
司会
最後に、現代に生きるわたしたちは、どんな心構えでお盆を迎えたらいいのかお伺いしたいと思います。
小野崎
昔の話ですが、新渡戸稲造(にとべいなぞう)がドイツに留学していたときの逸話があります。
母が留学中に亡くなるわけですが、彼は遠い異国にいて親孝行ができなかったことを悔い、どうしたら親の供養ができるだろうかと悩むんですね。そんなある日、彼はたまたま公園で孤児院の子どもたちに出会うんです。そして、ああ、そうだ、この子どもたちに1杯のミルクでもいいから飲ませてあげよう、それが母に対する供養になるのだと気づくわけです。布施行(ふせぎょう)というか、徳行を積む、それこそが仏教の基本的な考え方ではないでしょうか。
玄侑
そうですね。大乗仏教独特の考え方だと思いますが「回向(えこう)」ということがありますね。本来亡き人が自分で積むはずだった功徳を、子や孫が代わりに積んで、それを故人に振り向けるということですが、いい考え方だと思います。亡き人のために何かをしようとするとき、故人が笑顔で頭の中に思い浮かべば、それはいい供養になっているし、寂しそうな顔で出てきたら、それは供養が足りないのだと思えばいい。そんなふうに、今生きているわれわれが自分の中で故人のイメージを変換させていく。それが供養なんだと思います。
司会
今日は大変興味深いお話を伺いました。わたし故人の感想としては、この人生を精一杯生きるというか、それも人のために少しでも尽くすとか、自然を守るために尽力するとか、そうやって人生を生き尽くすと、良いあの世に行けるという気もします。
小野崎
そうですね。先祖を供養するということは結局、自分を供養することなんですね。それによって毎日の生き方に対する反省も出てきますし、新しい自分を発見することにもなると思います。
司会
ありがとうございました。
(平成15年2月22日福聚寺にて)
玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)
1956年福島県美春町生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業。様々な職業についたのち、27歳で出家。京都の天龍寺専門道場にて修行。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。デビュー作「水の舳先」が第124回芥川賞候補作となり、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。
公式サイト:http://www.genyu-sokyu.com/
小野崎秀通(おのざき・しゅうつう)
1947年宮城県石巻市生まれ。駒澤大学仏教学部仏教学科卒業。曹洞宗教化研修所研修課程修了、タイ国ワット・パクナム留学、大本山永平寺僧堂修行、曹洞宗東北管区教化センター主監、大本山永平寺講師。現在、洞源院住職、保護司、大本山永平寺孝順会事務局長、宮城県有道会会長。