洞源院寺報なむ

第14号

希望の持てる渡波に! 住職 小野﨑秀通

長浜町、松原町、大宮町、幸町、浜松町、黄金浜、栄田、渡波町内と、これらの地域は昨年までは瓦礫の山であったが、今はほとんど撤去され、洞源院から見える限りでも更地になってしまい、あちらこちらと消え、寂しい光景となってしまった。消えた中には、幼稚園と保育所2か所が含まれ、渡波小学校が未だに再開されず、中学校と女子商業高校が解体され、今のところ再建の見通しがない。

保育祖、小学校、中学校は数キロ離れた仮設校舎、施設となり、子供たちは送迎バスで通っている。これがいつまで続くのであろうか。子どもを持つ親御さんは、不安でならない。離れがたい思いを強く持ちながらも、ついに離れざるを得ない。子どもを連れて、他所へ移った親御さんは、「子どもが修学し終えるまで、戻れないでしょう」と。こんなことを聞くと益々寂しく、想いが募ります。

しかる状況の下、住民皆さんが安心して元の様な生活が一日でも早く取り戻せるよう願っています。この地域の再興発展は、子どもを持つ親御さんや若い世代の力がなければ実現できません。

さらに、それを受け継ぐ子ども達が、元気に育つ環境を作らなければ希望の持てる町作りはできません。

生活の再建には、行政によるライフラインの整備と学校の再建を早急に進めてもらわなければなりません。しかし、現実には公共事業は中々進展しておりません。公共事業の入札状況も40%ほどしか進んでいないと言う事を聞きましたが、何が原因で遅れるのか。

復興も足踏み状態で、住民もイライラしてきます。おまけに家を建てるにしても、土地の高騰、資材高騰、人件費高騰と被災者は二重の苦を受けなければなりません。

こうした中で、ただ手をこまねいていては地域の発展は望めませんので、自分たちの出来る事を考え、自力再生していかなければならないと思います。

洞源院が避難所となった時、多い時には400人から避難していましたが、プライベートのない生活の中で、共同生活の約束事、八ヶ条を皆で守り、譲り合い、助け合って、和を保って過ごせました。そんな中で子供たちの屈託のない明るい存在に和まされました。あの時の事を思いますと、洞源院避難者は町の縮図であったように思われます。子供がいて、町の希望が見えてくると確信しました。

2か所の保育所を失った今、子どもの声が町から消えてしまった、もう一度元気な子どもの声が聞こえる町にしよう。子供たちを安心して保育園に預け、家庭や町が明るく、元気になれるようにすることは、行政に代わってでもしなければならない事です。
昨年、一年がかりで「社会福祉法人輝宝福祉会」を立ち上げ、いま「石巻ひがし保育園」を開園するよう進めています。
これは、渡波地域皆さんの力で育てて頂きたいのです。その基礎作りをしているところです。

石巻ひがし保育園概要
開園 平成26年3月予定
場所 石巻市伊勢町182の2
収容 乳幼児0歳~5歳 75名
職員 16名
遊戯 屋内遊戯室、屋外遊技場
保育士募集中!
保育園のページもあわせてご覧下さい。

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東日本大震災から二年目を迎えた洞源院

東日本大震災三回忌合同法要

東日本大震災から2年目の3月11日、岩手、宮城、福島の各被災地で追悼式が行われ、鎮魂の祈りを捧げました。

洞源院でも三回忌合同法要が行われ、副住職の修行仲間の僧侶13名が、この日の為に北は北海道の網走やまだ雪深い新潟などからかけつけてくれました。洞源院の檀家でも多くの犠牲者が出たため、法要も第一座~第三座と3回に分けて行われました。一周忌には1,000人以上の参列者がありましたが、今回は平日のためか600人程度でした。

全国の死者は災害関連死を含めて18,000人以上となり、いまだに行方のわからない人が2,668人もいます。改めて災害の大きさに震える思いです。

NHK総合 ニュースウォッチ9 洞源院から生放送

NHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」が東日本大震災から2年目の3月11日夜、洞源院の本堂や境内から生中継で全国に放送されました。タイトルが「忘れまいあの時を」「震災2年石巻から中継」「災害の風化防ぐには? 明日へ踏み出すには?」でした。

冒頭は番組のキャスター大越健介さん、井上あさひさんと住職で避難所となった洞源院の様子などインタビューの形で話し合われ、ゲストとして佐々木力さん、安部文夫さん、須田祥蔵さん、後藤和男さんが参加して、なかなか進まない復興の様子や、これからの事を訴えました。

浜供養の再開

牡鹿半島巡礼浜供養は平成24年4月15日に祝田、佐須浜、小竹、折ノ浜、蛤浜から始まって毎月、4~5ヶ所の各浜を巡礼してきました。

今年は4月14日に野々浜から小乗浜まで、各浜の皆様にも大勢参加していただきました。

1年をかけて牡鹿半島35ヵ所の浜を25名程の人数で巡礼浜供養をしてきました。次回は渡波、旧石巻を予定しています。
檀家にかかわらず参加できますので、一緒に浜供養をご希望の方は洞源院に連絡してください。

詩集「あったかい手」英訳

小野﨑美紀著「あったかい手」の英訳文ができました。

東北大学国際交流センター講師の設楽宏二氏が詩集の英訳文を作りたいと申し出てくれました。設楽さんは平成20年から毎年(震災の年は中止)、東北大学留学生の日本文化を学ぶ留学生と一緒に来院しています。
「あったかい手」について詳しくはこちらをご覧下さい。

やなせななさんがコンサート収益金の一部を保育園建設に寄付

ななさん(浄土真宗本願寺派の僧侶)は「歌う尼さん」として知られ、洞源院にも何度か来院されています。
4月15日、秋田県の長慶寺でコンサートが行われ、洞源院住職がかけつけました。
やなせななさんのホームページはこちらをご覧下さい。

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達磨大師

ダルマさんに手も足もない? どうして片目なんだ?

達磨さんはもともとインドのコーシ国の王子として生を受け、やがて中国に渡って禅を広めた実在の人物です。
釈尊の弟子、摩訶迦葉(まかかしょう)尊者が禅宗の第一祖となり、それから二十八祖が達磨大師です。
師の般若多羅尊者の元で修行すること40年、以心伝心の正法をすべて伝授され、師の教えに従い、3年の月日をかけ、520年に中国の梁の国、広州に着きました。

梁の武帝が達磨大師を迎え、尋ねられた。
「私は即位してから寺を建て、写経をし、僧侶に供養をしてきたが、どれほどの功徳があろうか?」すると達磨大師は「無功徳、功徳がある様に見えても実際には何もない。影のようなものです」と答えられた。
武帝「それでは真の功徳とは何か?」
達磨大師「清らかな智慧が現れ、何者にもとらわれない事です。恐れながら帝位にあって功徳を望むのは無理です」
武帝「しからば真の仏の教えとはいったい何だ?」
達磨大師「からりと晴れた空のようなものだ」

武帝には理解されず、ついに江を渡り、洛陽の嵩山、少林寺に入り、その後9年間壁に向かった坐禅を続けた。やがて真剣に仏法を求める慧可を始め、弟子が中国に継承されるようになり、唐の皇帝より円覚大師という名を贈られた。本堂の本尊左脇には中国禅宗の初祖として祀られている。坐禅の達磨様は不屈の精神を表し、七転び八起きの縁起物となり、片目の達磨様に願を掛け、成就したところで両目を入れることになった。
また、達磨大師は150歳で亡くなったとされる。その後、西域で達磨様に会った者があり、墓を見ると、片方の靴だけが残されてあったという。洞源院にはその片方の靴を抱えてい歩いている姿の達磨様がいます。

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洞源院復旧進捗状況 塗装と屋根瓦の修理

お寺の修復状況は「なむ」でお知らせしてきました。東日本大震災の津波による被害はなかったものの地震の被害が多く、少しずつではありますが修復は進んでいます。現在は塗装と屋根瓦(棟の部分は終了しましたが下の方はこれから始まります)の修理が行われています。また、皆様に署名をお願いした裏山のがけ崩れは測量調査が始まっています。

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日常の仏教語「お陰様」

私達は、日常会話の中で「お陰様で…」という言葉を使いますね。「お陰様」とは、神仏の加護や助けのことで、そこから、人から受ける恩恵や力添えをいうようになりました。

その昔、ある男が亡き父の遺言で毎朝、東西南北と上下の六方に礼拝していましたが、その訳がわかりませんでした。そこでお釈迦様が彼にこのように教えました。

「東を拝むときは自分を産み育てて下さった両親や先祖に感謝し、西は妻や子に、南を拝むときには導いて下さった恩師に、北は友人に。上方は僧侶に、下方は支えてくれてている目下の者の御苦労に感謝せよ」
仏教は、全ての者は互いに関係し合い、多くのものの力、支え、恵みを受けて生きていると説きます。決して自分ひとりの力で生きているのではありません。

「お陰様」という言葉は、目には見えない「感謝の心」から生まれ発せられる言葉です。

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活動報告(平成25年1月~4月)

1月元旦~3日
三朝祈祷
1月18日 午前10時
大般若祈祷会 馬頭琴演奏
2月11日午前10時
おねはん会 仏の教えを聞く会
3月11日
東日本大震災三回忌合同供養
3月17日~20日
彼岸供養(お寺にて先祖供養)
3月23日
十一面観音永代供養・愛々動物供養
3月28日
米国UCLA大学院生24名来院
4月14日午前
石彫会
4月14日午後
東日本大震災浜供養巡礼

今後の行事は年間行事のページをご覧下さい。

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行事予定(平成25年5月~8月)

5月11日午前10時
東北大学留学生来院
5月12日午後1時半
花まつり 釈尊降誕会
オーバンデス高橋圭生コンサート
5月26日午後1時~
東日本大震災浜供養巡礼
5月28日~30日
大阪・静岡・山形の5団体震災供養来院
5月30日
梅花流全国大会
6月1日午後2時~
護持会役員総会
6月5日
福島県円通寺来院
6月16日午前9時~
石彫会

行事予定の日時は都合により変更の場合もあります。
今後の行事は年間行事のページをご覧下さい。

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仏前結婚式に参加して

私は今回で三回目の仏前結婚式でしたが、これがご縁というのだろうなぁと感慨深い心境で参加させて頂きました。と申しますのは新郎が友人の甥っ子さんで若くして亡くなられた新郎のご両親にも大変お世話になった間柄でした。一方の花嫁さんはご住職の長女、真弓さんです。

ご本尊様を前に、式師をなさるご住職に(今回は花嫁の父なのでなお一層心打たれましたが)浄めを受け、睦みの式で寿珠(数珠)を授けられた新郎新婦は誓約文を読み、それに拇印を押し式師が証明します。参加者全員でお経を唱えお二人の幸せをお祈りしました。

み仏様がほほえんでお二人を見守って下さっている様な、そんな雰囲気が満ちていました。

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住所をお知らせ下さい

被災された方で、住所変更届をされていない方は、早めに現在の住所及び電話番号をお知らせ下さい。

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編集後記

東日本大震災からもう2年が過ぎました。海岸近くの被害が大きかった所は建物の基礎部分だけになったまま、風景はほとんど変わっていません。近頃は復興の遅れ、災害の風化、風評被害という言葉を多く見たり、聞いたりするようになりました。これまでに全国及び世界各国から多くの支援をいただき、早く自立しなければならないとは思いますが、被災した人達は生活が一変してしまい容易なことではありません。

復興に向けて皆が頑張っているので、少しずつではありますが前に進んでいるように思います。今回の「なむ」も震災関連の記事が多くなってしまいましたが、一年前より前向きな感じになりました。多忙にもかかわらず「なむ」発行にご協力いただきました皆様に感謝申し上げます。今後ともよろしくお願い致します。

(後藤和男)

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