テレホン法話
洞源院ではテレホン法話を実施し、不定期で更新しています。
0225-24-1408へおかけください。(所定の電話料金がかかります)
このページでは以前の法話の内容をご紹介いたします。
「あなた」
今年は例年になく暖かい冬でしたが、いつの間にか春彼岸が来ました。
彼岸は佛のおられるあちらの世界です。これに対してこちらの此岸は煩悩に悩まされる迷い苦しみの世界です。彼岸を彼方と書いてあなた、此岸をこの方と書いてこなたとも言っています。今では彼方此方はあっちこっちという事ですが、仏様のさとりの世界が彼方、私たちの迷いの世界が此方なんですね。そして彼方におられる仏様があなたであり、中でも人気の高い阿弥陀様が代表してあなたとなったようです。
私たちが今使っている「あなた」は二人称では君の尊敬語、三人称ではあの人の尊敬語になっていますが、自分以外の人を仏様と同格に扱い、敬って「あなた」と呼ぶことはすばらしいことです。
インド人のあいさつはどんな人とも合掌してナマステーといいます。テーはあなた、ナマスは南無ですから「あなたを敬い信じます」といっています。
相手の仏心を拝む、それが「あなた」と呼ぶ声となったらすばらしことですね。
本来の「あなた」ということを知ると、「あなたまかせ」という事も優柔不断の態度で使うことが出来なくなります。「あなたまかせ」がサボる行為の逃げ口上にならぬよう、くれぐれも心したいものです。
道元禅師は「身も心も放ち忘れて仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに従いもてゆくとき、力もいれず心も費やさずして、ただ仏となる」とお示されるように、自分の計らいを捨てて、すべてを仏様におあづけするところに仏様の働きをいただくということですから、実は大変なことです。
ともあれ、つねに「あなた」と相手を敬い、信頼する態度で呼びたいものですね。
安らかな死
お釈迦さま最後の説法、遺教経に「寂静・無為・安楽を願わばまさにみだれとさわぎをはなれてひとり住み静かにおるべし」とお示しがあります。
現代人は余りにも刺激の多い生活を求めている人が多くなっているようです。
無軌道なことを好み、騒がしい環境に身をおき、常にエキサイトしながら生きている社会ではないでしょうか。
そこには死という事を忌み嫌い、目を背けて、死をおろそかにしているとしか思えません。死をおろそかにする事は今の生き様をおろそかにして生きていることになります。
チベットに『死者の書』というのがあります。寂静・無為・安楽を願う人の、いわば死の予習のための本です。そこには「安らかな死を望むならば、自らの心に、生き方の中に安らぎを培っておかなければならない」とあります。
お釈迦さまのご在世のころのインドでは人生を4つの時期に分けてかんがえていました。人生の基本を学ぶ学生期、結婚して家庭を営み、社会的責任を果たす家住期、それが済むと個人に戻り哲学するために、林の中で住む林棲期、そして最後が遊行期です。旅に暮らし、どんどん所有物を減らしていって最後は旅のうちに死を迎えるのです。お釈迦さまはまさにこのような人生を過ごされたもので、旅先の死はいわば予定通りのことでした。お釈迦様の死を涅槃といいますが、寂静・無為・安楽この上ない安らかな死でありました。
私の友人に、昨年奥さんを亡くされた人がいます。癌を患い半年余り治療に専念しましたが介護の甲斐もなく帰らぬ人となってしまいました。
友人は、自分の仕事に専念するあまり、奥さんや家族をあまり顧みることなく過ごしてきたことを反省し、数年前からよく2人で旅をするようになったといいます。そして互いに信頼しあえる夫婦であることが確認できたそうです。入院中も毎日のように仕事の帰りは真っ先に病院に見舞い、今までになく心の通う会話をするようになりました。やがて、友人の手を握り奥さんは「あなたと一緒になれて本当によかった。ありがとうございます」とはっきりした声で言い残して静かに逝かれたということです。
「安らかな死は自らの中に、生き方の中に培っておかねばならない」ことを教えていただきました。
たった一つの尊い命
今年の東北の春は例年になく遅く、ようやくここ石巻の桜も開花しました。お釈迦様のお誕生を祝うお花祭り、降誕会(こうたんえ)は今年は10日遅れの4月18日に修行することとなりました。
ご存じのように、お釈迦様のお母さまは出産後わずか一週間で亡くなりました。医学が発達した今日でさえ、様々な原因によりお産で亡くなる母親は少なくありません。父母は心身共に艱難辛苦し、育て上げます。
私たちは、普段は忘れていますが、この天にも地にもただ一つしかない私の尊い命があるのは、一つには他でもない父母の見返りのない慈しみのおかげです。ですから誕生日というのは、生まれた事がおめでたいのと同時に、一つしかないゆえに尊い我が命を、血肉を分けて授け、そして見返りを求めない父母に、せめてもの報恩の気持ちを捧げる日でもあると思います。
「天上天下唯我独尊」の有名な言葉は、お釈迦様のみが尊いということではなく、私たち一人一人が、父母の見返りを求めない心に育まれた、たった一つの尊い命であるということを、そしてそれは二度とない一度きりの尊い命であるということを自覚するための、お釈迦様からのメッセージであると思います。
一本の野の花も命いっぱいに生きている。仏様は見つめておられます。あなたのいのち、私の命を!
ではまた。