洞源院寺報なむ
第50号(令和7年5月1日発行)
遷座五〇年
住職 小野﨑秀通

明治四年に東北に誇る洞源院の七堂伽藍が焼失して一五〇年になります。
先代秀丸和尚は、昭和十五年に住職就任以来伽藍再興を長い間構想し続けてきました。
八幡太郎源義家公開基以来九百年続く山居に再建すべきか、交通の便を考えて檀信徒皆様が常時お参りできる地に移転すべきかと熟慮してきましたが、次世代のことを考え、総代役員に諮り、山居を離れ新天地に移転することが同意されました。それでも移転先の適地が決まらない中、セイロク屋の家号を持つ内海家の山を山居の山と交換して頂く事になり、現在の仁田山の地に遷座(移転)することに決定したのでした。
当時の総代長阿部房吉氏を筆頭に洞源院再建委員会を立ち上げ、住職と共に小竹、佐須、祝田と集落毎に説明会を開催し協力を仰いだのです。
山居は東京の建設関係会社へ譲り、その譲渡金を基に昭和四十五年に造成工事を白出工務店の施工により、昭和五〇年四月八日に竣工することができました。丁度本年は、御本尊様を遷座して五〇年となります。
やがて旧跡山居は、東京の建設関係会社から石巻市に譲渡されました。
市は洞源院向山にサンファン施設を造ることになり、造成工事の残土ダンプ三万台余りを処分するために山居の東山に運ぶことになったのです。
市有地となった境内本堂跡地には「洞源院本堂跡地」の石碑が立ち史跡とされています。
先代秀丸和尚は山居時代、境内整備に努め、境内周辺の土地を畑や田圃に開墾し、牛を飼い、田起こしをして米作りなど自給自足の生活をしつつ、檀務を勤めていましたが、檀家へは牛に乗っての往来であったので、当時は「べごのおっさん」と呼ばれていたようです。
戦後、米国軍が渡波に来ていた時、米兵が「べごのおっさん」を見て「仙人がいた」と言って追いかけて来たと想い出話しを語っていました。
寺院には聖地である事を意味する山号が付いています。洞源院は開山から五百年程、天台宗でした。その時代は楊澤山と号し、元亀元年曹洞宗に改宗され、柳澤山と変わり、仁田山に遷座した時点で輝寶山と改名しました。 秀丸和尚はこれまでの功績が認められ「開山中興」の称号を戴いています。

最上松林寺参拝のご案内
住職三部義道師は東日本大震災の時「負けないタオル」を持参して応援してくれました。
シャンティというボランティア活動や曹洞宗特派布教師として全国を巡っています。
講話を楽しみに参加下さい。
- 日程
- 6月27日(金)7時40分 洞源院出発
→道の駅おおさき(休憩)
→10時30分 最上町松林寺 参拝・講話
→12時 瀬峰温泉 ゆめみの宿観松館 昼食と入浴 2時間滞在
→15時~45分間 あ・ら・伊達な道の駅
→17時15分 洞源院着 解散 - 参加会費
- 5,000円
- 申込み
- 6月10日まで
三佛忌「花まつり」
三佛忌はお釈迦様の生誕の花まつり、お悟りの成道会、入滅の涅槃会を言います。 四月八日は、お釈迦様のお誕生をお祝いし、お釈迦様のみ教えをあらためて学ぶ誓いから「花まつり」の日と讃えます。古くは「灌佛会(かんぶつえ)」「佛生会(ぶっしょうえ)」「降誕会(ごうたんえ)」などと言っていましたが、大正時代から親しみやすい名称になりました。
お釈迦様は、インド北部の小さなカピラ国の王子としてルンビニー園の花園で生まれました。伝記には、生まれ出た王子は、自ら七歩歩み、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と高らかに誕生宣言したと伝えられます。
七歩は、人間として最高のあり方、即ち迷い妄執の六道輪廻を一歩踏み出したことを意味しています。そして「唯我独尊」はこの世の中で、私という存在はかけがいのないたった一人でとても尊い命を持っている。このことに気付くとき、全ての命の尊さが自ら分かり、生きとし生けるもの全てが尊い存在であるのだと仏教の精神を宣言したものだと言われています。
ところで、『花咲か爺さん』は室町時代以後、仏教説話として勧善懲悪と動物愛護の心を盛った内容ですが「花咲か爺さんお釈迦様」と伝えることがあります。
「あなたは少しも悲しんだり、落胆することはないのですよ。よい教えのご縁に逢うなら、冬枯れの木が春に出逢って新しい芽が萌えいづるように、あなたの心に秘められている仏のいのちが現れて、あなたの心を安らげあなたは救われるのです」と教えの灰をまいて、迷い苦しみ、嘆く人たちの心に花を咲かせたお釈迦様を象徴したのが『花咲か爺さん』です。
八十八夜に想う
安田 大也
♪夏も近づく八十八夜~
茶摘み歌に出てくる八十八夜とは、立春を起算日として八十八日目(立春の87日後)の日をいい、今年は、5月1日にあたります。
この日に摘んだお茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きをするといわれているそうです。
お茶の産地というと、静岡・宇治・狭山・鹿児島が有名ですが、石巻市桃生町で古くから栽培されている「桃生茶」は北限のお茶として有名です。
地理的に八十八夜ではなく、108目に摘み取りをするので百八茶とも呼ばれるそうです。
お茶は、中国で漢の時代から解毒用として珍重され、後に飲用に発展し、日本では永忠という僧が805年、留学していた唐から薬として持ち帰ったのが最初といわれています。
お茶の効用の多くは、お茶独特の渋みの元となる成分、茶カテキンによるもので、血液中のコレステロールを低下させる作用、老化を防止する作用、血圧の上昇や血糖値の上昇を抑える作用、抗ウィルス作用、虫歯を防ぐ作用、口臭を予防する作用など実に多くの効き目を持つといわれています。また、お茶に含まれるカフェインは眠気を覚まし、ビタミンCも多く、急須で入れたお茶一杯で一日に必要なビタミンCの十分の一を摂取できるそうです。
さて、これ以上お茶の良い点を挙げていくとお茶屋さんからCMのオファーがあると困るので軌道修正していきます。
では皆さん、お茶はどんな色をしているでしょうか?
緑茶という位だから《緑色》ですよね。なのに何故《茶色》は緑色ではないんでしょうか?
悩みました。悩んだ挙げ句、茶色に近いビールを飲みながら調べてみたらチャチャッと解決!
《茶色》には深い歴史があって、室町時代に茶の葉の煎じ汁が染料として使われ始め、その時に出る色に由来しているというのです。それに伴い《茶色》の名が生まれたそうです。
因みに茶色は英語でブラウンと言いますが、ブラウンが表すのはお茶の色ではなく、ゲルマン語由来の言葉で、語源はなんと「熊の色」らしいんです。同じ色を見ていても、日本人はお茶、英語圏の人には熊がイメージされていると考えると面白いものですね。
御堂建設地鎮祭
米谷 ゆきひろ
3月9日(日)午後二時より地鎮祭が執り行われました。
式には仁杉圓一郎建設委員長並びに各役員、建設請負の宮大工・木匠の棟梁、設計事務所、工事関係者等40名余が参列。
建設地を清め、諸仏諸天神、特に観世音菩薩、不動明王、薬師如来、八大龍王神の鎮座安置せる威神力を蒙り、工事安全、作業順調、関係者諸災無く諸縁吉祥ならんことを切に願い祈祷致しました。引き続きクワ入れ式を住職、建設委員長、棟梁が行い、地鎮祭を滞りなく勤めることが出来ました。
翌日から早速土木工事が始められています。
令和元年より御堂建設を計画してきましたが、祝田から佐須にかけて、開発行為の許可が必要な地域となっており、県への申請を依頼していましたが遅々として進まず、申請するだけで五年も費やしてしまいました。
昨年九月に漸く認可が下り、その後の建築申請であったため建築許可が三月までずれ込んだ次第です。
完成は、令和8年5月頃になるようですので、随時、進捗状態をお知らせしつつ、完成を待ちたいと思います。
また、5年の歳月が経つうちに物価高騰が続き、資材や人件費等全てが超過する状況下となり、資金の工面を考えなければなりませんが、無事円成出来ますよう、何とぞ檀信徒皆様におかれましてもご協力を切にお願いする次第です。



- 参道通行にご注意を!
- 御本堂西隣りにて「御堂建設」が始まっております。
1年余り工事が続きますので、お墓参りや水子・子育て地蔵尊をお参りする際は、注意して通行されるようお願い致します。
【暮らしの中の仏教語】後生(ごしょう)
村崎四季ブー
「後生だからお願い」とか「後生大事に」という言葉があります。私たちが生まれて死ぬまでを「一生」といい、今の「生」だから「今生」といいます。 仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)を説き、この世の他に過去の世と未来の世があると教えます。 過去の世を前世といい、そこで過ごした一生を「前生」未来の世を「来世」といい、そこでの一生を「後生」といいます。 死んだ後に生まれ変わる世界のことが「後生」ですから「後生大事」は、現世で徳を積んで来世で安楽を願うことです。 「一生のお願い」と「後生だからお願い」という言葉の違いは現世と来世の視点の違いと言えます。 前者は、今この世で一度きりの願いをするという意味。 後者は、死後の世界での幸せを願う意味で使われます。 後生を善くするためには、今生のうちに善い種をまいておくことですね。 後生橋という地名が渡波地区にありますが、善いことを今生のうちに積み重ねて渡る橋が由来しているのでしょうか?次号への課題です。
大船渡火災支援
大船渡市で山林火災が発生し、1ヶ月以上鎮火出来ず広範囲に拡がり、焼損面積3000㌶、家屋250軒以上、漁業関係倉庫など甚大な被害となりました。大船渡は石巻と同様、東日本大震災の被災地で、二重苦に苛まれています。
洞源院でも支援が出来ないかと、春彼岸供養会中募金箱を用意し、お参りの皆様に呼びかけたところ、ご協力を戴き、集計した結果、60,771円でしたので、4月4日に石巻市役所に寄託しました。
さて、一難去ってまた一難。
今度はミャンマー(旧ビルマ)でM7.7の大地震が発生しました。トルコ、台湾の時も支援してきましたので、ミャンマー地震災害にも引き続き募金活動をしたいと思いますのでご協力お願い致します。
保育園からこども園への変更
東日本大震災後開園した輝宝福祉会の保育園は、幼稚園と保育所を兼ねた「幼保こども園」に認定され、4月から『石巻ひがしこども園』『石巻たからこども園』と名称を変更しました。
入園を希望する方は、こども園で随時受け付けておりますので、ご相談下さるようお声掛けください。
お悔やみ
永年、佐須浜地区の担当役員をされていた須田正太郎氏がご逝去されました。
謹んでお悔み申し上げます。
活動報告(1月~4月)
- 新春初祈祷 1月1日
- 三朝祈祷 1月1日~1月3日
- 初観音大般若祈祷会 1月18日
- 園児涅槃会・茶会 2月7日
- 涅槃会 2月15日
- 御堂建設工事関係者打合せ 2月22日
- 写経会 2月2日、3月1日、4月6日
- なむ編集会 2月23日、3月24日、4月9日、4月27日
- 御堂建設地鎮祭 3月9日
- 東日本大震災復興祈願慰霊祭 3月11日
- 彼岸供養 3月17日~3月20日
- 蓮植え替え 3月30日
- 花まつり 4月20日
行事予定(1月~4月)
- 写経会 5月6日(火)13時30分~ 6月1日(日)13時30分~ 7月6日(日)13時30分~
- 園児花まつり 5月14日(水)10時~
- 護持会役員総会 御堂建設委員会 5月18日(日)14時~
- 東北大留学生講座 5月31日(土)12時~
- 大崎市民生委員研修 6月17日(火)10時~
- 護持会一日研修旅行 6月27日(金)7時30分~
- 園児寺合宿 7月25日(金)~7月26日
- 清掃奉仕 7月27日(日)8時~