洞源院寺報なむ
第46号(令和6年1月1日発行)
感 謝
住職 小野﨑秀通
「今までは、ひとの事だと思うたに、俺がかかるとは、これは叶わん」
昨年十月末、突然四十度の高熱に襲われ、めまいがひどく、歩行困難となり、救急車を要請し、市立病院へ搬送され、めまい等の検査後、自宅に帰されました。この時点でコロナの検査はされませんでした。
その後、かづま内科クリニックに連絡し、車内で検査を受け感染したことが分かり、市立病院へ入院となりました。
入院から三日ほどでめまいは治まったものの、左耳の聴覚障害が起こってしまい、二週間以上の入院となりました。
コロナに感染した我が身は、自力で動くこともままならず、介護に当たってくれた方々に身を委ねる以外にありません。初めは家族に、そして病院では医師・看護師さんへ身を委ねるばかりでした。
二十四時間交代しながらも献身的にお世話をして下さる看護師さんの姿は「人命を救いたい、病の苦しみを和らげたい」と慈愛の心に満ちているようです。
唯々感謝するばかりです。ある意味で、気づかせてくれた病気にも感謝です。
さて、自分は他人様にあの様に献身的にお世話をしてきたであろうかと考えると、忸怩たる思いです。
思えば水も空気も太陽も土も電気もガスもあって当たり前に思っていた事が大震災を経験して気づかされました。
「人は唯一人では生きられない、多くの人や物に支えられ、活かされる事によって生きているその恩に報いる道は、人を生かし、物を活かすことである」と。
震災の時、避難してきた方々と「洞源院共同生活八箇条」を決め、皆で協力して乗り越えることが出来ました。八箇条、どれも大切な約束事でしたが、その中でも「神仏を敬い、常に感謝の心を忘れないようにしましょう」と。
当然の事ながら感謝の気持ちを失うと、不平不満が起こり、周りの人々との関係が悪化してしまいます。幸い、不平不満なく避難生活を乗り越えられたのは、感謝を忘れずに協力できたからだと思います。
仏教に「無財の七施」の教えがあります。
- 眼施=やさしい眼差し
- 和顔施=和らぎの笑顔
- 言辞施=心のこもった穏やかな言葉
- 身施=身を呈して事にあたる
- 心施=慈愛心を持ってあたる
- 床座施=弱者に席を与える
- 房舎施=家へ招く
以上のように相手を慮る気持ちを大切にすることです。
物資、金品の財がなくとも、無財の七施のような善行ができ、感謝報恩の輝く生き方をしたいものです。
大般若祈祷会のご案内
守り本尊御開帳 八大竜王神御開帳
- 1月18日(木)
- 10時~10時半
モンゴル馬頭琴演奏会 演奏者 バイアラット氏
11時~12時・
祈祷法要
家内安全・病魔退散・闘病平癒
身体壮健・子孫長久・家業成就
家門繁栄・除厄招福・商売繁盛
工事安全・交通安全・海上安全
合格祈願・学業成就・良縁結成
無事息災・海産豊穣・家庭円満
安産祈願・福寿長寿・心願成就
ご希望の願意を選び、白色の申込書に記入し、受付にご提出ください。
お檀家以外の方でも受付けていますので、ご遠慮なくお申込み頂き、お誘いの上お参り下さい。
※受付は、当日に限らず事前に受付いたしますのでお申し込みください。
き く
安田 大也
新年おめでとうございます。
さて、年の初めにふさわしい話題をお届けしたいと思い、つらつらと考えた結果「和歌」を元ネタにしてみました。
『手を打てば ハイと答える鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』(詠み人知らず)
これは、興福寺の五重塔が水面に映え、その美しさから奈良八景の一つに挙げられる猿沢池を舞台に詠まれた和歌です。
猿沢池の前でポンと手を叩いたら、茶店の女中さんはお客さんに呼ばれたかと思い「ハイ」と答え、水面で羽根を休めていた鳥達は驚いて飛び立ち、池の中を泳ぐ鯉は、餌を貰えるものだと思い集まってくる。その情景を詠んだものです。
一つの情報、特に耳から入る情報は、それぞれに受け止め方が異なり、自分に最もふさわしいと思う行動を取りがちです。
最もふさわしい行動は、立場や状況、経験などによって違ってくるのでしょう。
一方、手を叩いた人は、何の目的で叩いたのでしょうか?
いや、もしかすると手を叩いた人も、何の目的もなく、何か良いアイデアでも浮かんだ拍子に叩いたのかも知れません。
この和歌は私たちに『とらわれた心から離れなさい。とらわれたり、こだわったり、偏ったりすることが苦しみの根源だ』と教えてくれているようです。
何かを「きく」場合「聞く」と「聴く」の二つがあります。
辞典をめくると「聞く」は、『聞こえてくる・自然に耳に入ってくる』
もう一方の「聴く」は『よく聞く・注意して聞く・内容を理解しようと思って進んで聞く』とあります。
「聞き流す」か「傾聴する」かの違いともいえるでしょう。
人の話を「きく」時には、大事なこと、相手が言いたいことを理解するために「聴く」姿勢を持つことが大切であるということです。
家族や友人はもとより、あなたを頼りに話をしてくる方に心優しく、耳を傾けて聴いてやって下さい。
というわけで、安田大也、今年は心を入れ替えて、真面目な投稿をする気持ちになったか!
と感じた洞源院檀信徒はじめご縁のある皆様、ご安心下さい。改心の欠片も成長の兆しも全くありませんから…
本年も宜しくお願いします。
「第三十一回寺子屋寄席」ちえぶくろの会
十月十四日、柳家三語楼師匠を迎えての寺子屋寄席。コロナ禍の規制が解除されたためか、百名を超える大入りでした。
- 一席目『四人癖』
- 「目をこする癖」「鼻の下をこする癖」「袖を引っ張る癖」「手を打つ癖」がある四人の男が集まり、癖の直し合いをすることに。癖をやれば罰金をとるルール、癖が出そうになるが別の動作で誤魔化してその場をしのぐ。その所作に爆笑!
- 二席目『真二つ(まふたつ)』(山田洋次監督が書き下ろした作品)
- 成田のお不動さんに商売繁盛の祈願に出かけた古道具屋。お参りをすませて帰る途中、百姓家の縁先で休んでいると、庭の大根干しに使っている棒が、なんでも「真二つ」にする値打ちものの薙刀(なぎなた)であることに気づいて…。男と百姓夫婦との薙刀の売り買いの駆け引き。一桁違う認識を知り、安価で薙刀を譲り受けた男は、買った薙刀を百姓家に預けて、安く買えたと成田山にお礼参りに。
成田山から帰りに、百姓家に立ち寄ると薙刀は、柄は杖に、刃先は池に捨てたと言われ、刃先を探そうと池を見ると、鮒は真二つに。刃先を拾おうと池に飛び込んだら男も真二つに…
商人と農家の金銭感覚の違い、お人好しと商売が上手でない古道具屋、百姓夫婦の要らぬ親切が悲劇となる山田監督の人間味のある噺で面白くもあり、怖さも感じるものでした。 - 三席目『猫の災難』
- 呑ん兵衛の熊五郎、酒は飲みたし、銭はなし。隣のおかみさんから肉身のない尾頭付きの鯛をもらい受け、立派な鯛だと勘違いした兄貴分が、それで一杯やろうと酒を買いに行く。一升の酒瓶を抱えて帰ってきた兄貴分に「猫が鯛の身をくわえて行ってしまった」と誤魔化す。人のいい兄貴分は、仕方ないと渋々代わりの鯛を買いに行く。その間に熊五郎は、一升をたいらげてしまい「ヘベレケ」に。
帰ってきた兄貴分は、びっくりして怒りだすが、熊五郎は、「猫が倒してこぼしたのをすすっただけ」と言い逃れるも、そこに隣のおかみさんが来て、悪事が露見する。熊五郎「隣の猫によーく詫びをしてくれ」と。その飲みっぷりとその酔っ払い方を演じる師匠の上手なこと。
落語は、面白い!今年もまたお寄り下さい。
住職『藍綬褒章』受章
護 持 会
令和五年秋、当院住職は『藍綬褒章』を授与されました。
この褒章は、各種団体での活動等を通じて、社会福祉の増進等に優れた実績を挙げた方々や国から依頼されて行われる公共の事務に尽力された方に贈られるもので、秀通住職は、法務大臣の委嘱で、犯罪や非行をした人達が再び罪を犯す事がないよう、その立ち直りを支える『保護司』を永年務めており、その功績に対して授与されました。
十一月十三日、ご夫婦揃って皇居の春秋の間にて天皇陛下にお目通りが叶いました。
また、これに先立ち、奥様に東北地方保護司連盟会長から、家族功労賞が贈られました。 栄えある受章を祝し、護持会から褒章額を贈呈致しました。
住職『大教師』昇位
護 持 会
秀通住職は、これまで、曹洞宗東北管区教化センター主監・大本山永平寺講師・宮城県宗務所長等を歴任されておりましたが、令和四年十二月に上位から三番目の『大教師』に昇位されました。
ここに謹んでご報告申し上げます。
曹洞宗には、僧階というものがあり、全国で約一万八千人の僧侶を八つに区分しています。
『大教正』は両大本山それぞれの貫首及び前貫首。
『権大教正』は大教師の中から審査選考された三十人の僧侶。
『大教師』は年令六十歳以上で権大教師の中から審査選考された百八十人の僧侶で「赤紫(せきし)の衣」を着ることが許されます。
洞源院梅花講員の表彰
護 持 会
令和五年十月三日に梅花流創立七十周年記念・宮城県奉讃大会が仙台市で開催されました。
その席上、須田由紀枝さんが、入構後三十年以上で寺院講の発展に寄与されたと認められ、功労賞の栄に浴されました。
また、入構後十五年以上、講員としての活動が認められて、阿部洋子さん、阿部徳子さん、畠山みよ子さんが講員表彰を受けられました。
今回受賞された梅花講員の皆様にあっては、洞源院檀信徒の法要はもとより、各種行事には率先して参加して頂いており、心からお礼申し上げるとともにお喜びを申し上げます。
大本山總持寺開山 瑩山紹瑾禅師七百回大遠忌
令和六年は瑩山禅師の七百回大遠忌を迎えます。
十三歳の時、永平寺二祖様について出家し、金沢に大乗寺を開かれた三祖様から法を受け、諸国を巡った後、大乗寺を継承しました。
やがて能登に永光寺を開山し住していると、夢枕に諸岳観音堂が現れ、間もなくその堂主、定賢律師に懇請され、諸岳山總持寺と改め入寺することとなりました。多くの弟子を輩出する中、永光寺を明峰禅師に、總持寺を峨山禅師に譲り、正中元年一三二四年永光寺に弟子方を集め最後の説法をし、八月十五日夜半亡くなられました。
その弟子方が教えを広め、曹洞教団の礎を作りました。
現在の總持寺は明治維新火災焼尽した折、世界の禅苑たらしめんと鶴見に移転しました。
活動報告(8月~12月)
- 山門施餓鬼会 8月8日
- お盆供養 8月13日~15日
- 園児お泊まり会8月18日~19日
- 新潟県宗務所寺族会研修会 9月14日
- 彼岸永代供養・愛々動物供養 9月23日
- 寺子屋寄席【柳家三語楼独演会】 10月14日
- 住職「藍綬褒章授賞式」 11月13日
- 東北大留学生日本文化講座 11月25日
- 園児落ち葉清掃・焼き芋会 11月29日
- お寺清掃奉仕・成道会 12月3日
- 護持会臨時役員総会 12月16日
- お焚き上げ供養・除夜の鐘 12月31日
行事予定(1月~4月)
- 三朝祈祷 元旦~3日
- 大般若祈祷会 18日(木)10時~
- お涅槃会・仏の教えを聞く会 2月11日(日)13時半~
- 東日本大震災追悼供養 3月11日(月)14時~
- 春彼岸会各家寺参り供養 3月17日(日)9時・11時・13時 18日(月)~20日(水)9時・11時
- 永代供養会・愛々動物供養 20日(水)13時30分~
- 花まつり・仏の教えを聞く会 4月20日(土)13時30分
お涅槃会・仏の教えを聞く会
二月十一日(日)十三時半~
アフガニスタンで中村哲さんと共に活動した橋本康範さんをお招きして中村哲さんの目指した「事業」と「希望」について、お話をお聞きします。
《講師紹介》
橋本康範さん(大河原在住)
元ペシャワール会現地ワーカー
農山漁村文化協会東北支部長
暮らしの中の仏教語 「一念発起」
村崎四季折々
新年を機会に「一念発起をして徳を得る計画を立てよう!」と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「一念発起」とは、思い切って今までのことを改め、あることを成し遂げようと決意することですが、仏教語の「一念発起菩提心」の略語です。
「一念」とは、ひたすら思い込むこと。「発起」は「発菩提心」=悟りを開こうという気持ちを持って、仏門に入る決意=のことを指すそうです。
「菩提心」とは、悟りを求め仏教を行おうとする心のことであり、人のため、世のために尽くそうとする心も加えて考えることです。
このように、「一念発起」の元々の意味は、仏教語でしたが時代とともに何か良いことを思いつき、いままでの考えを改めて新たな思いを熱心に行うという意味に変わって使われるようになったと言えます。
「一年の計は穀を植えるにあり十年の計は樹を植えるにあり、百年の計は徳を植えるにあり、人の最も植えるべきものは徳なり」(南禅寺四四世義堂周信禅師)
植えることも、育てることもせず、ただ収穫のみを求める輩がはびこる時代だからこそ、是非、徳を植えて育てる計画をこの新年に立てては如何ですか。
百人一首の始まりと完成期
米谷ゆきひろ
百人一首は、九世紀の中頃に貴族社会での雅楽や歌謡の一環として遊びや競技のために歌合せとして行われ、宮廷や貴族の間で歌を詠み合い、その美しさや才能を競い合う儀式的なものでした。歌合せの際には、読み手として百人の歌人が選ばれ、それぞれ一首ずつ歌を詠みました。これが後の百人一首の発展の基礎となりました。
その後、十世紀初頭になると百人一首が公的な形式として定着し、歌合わせのルールや選定される歌人のリストなどが整備されました。この時期には、百人一首に収められる選定基準や優れた歌人の選出などについて詳細な規定が定められましたが時代とともに変化し、後世において幾度となく再編纂が行われたため、百人一首の正式な完成時期は定かではありません。
後には、百人一首は広く知れ るようになり、歌合せの遊びから一般の人々によって楽しまれる遊びや教育の一環として親しまれるようになり、日本の文化において、重要な位置を占める歌集であり、今日でも多くの人々に愛されています。