洞源院寺報なむ

第45号(令和5年8月1日発行)

仏事とグリーフケア

住職 小野﨑秀通

グリーフとは死別の悲痛、悲嘆の意味です。家族等の大切な人を喪失する悲嘆は自己存在に大きな影響を及ぼします。悲嘆することは正常な反応ですが、場合によっては長期化、慢性化して心身に深刻な影響を及ぼしかねません。

精神科医平山正実氏は「悲嘆のどん底にある人にとって葬儀をはじめとする仏事の持つ意味は大きい。なぜなら葬儀は悲しみを発散できる唯一の公的な場であるからだ。そこでは、悲しみの感情を心おきなく表出することが許される。周囲の者も慰め励ましてくれる。このような場が、喪の作業にとっても大事なのである」とケアの大切さを説いています。

近年、小さな葬儀などと宣伝されているのを受けてか「直葬」や「家族葬」などの簡略化された葬儀が多く見られるようになりました。

このような背景には経済的要因・家族形態の変化など様々考えられますが、人間関係の希薄さが大きな要因ともいえます。 こうした世相の中で、死別悲嘆に苦しむ遺族にとって、死者に対する後悔や、自責の念など遺族自身が故人との繋がりを失って苦しんでおります。

そこで遺族が絶たれたと感じる死者との関係性を再構築する作業(グリーフワーク)が必要になりますが、この過程において葬儀儀礼はグリーフケアを果たしてきたと言えます。つまり、人々の様々な思いに「成仏」という道筋をつけ、それを供養という儀礼により大きな慰め、安心感が得られるようにと考えられて来たからです。

その意味で、仏事供養は遺族に対するケア的な一面を持っているのです。葬儀後に四十九日、百ケ日、一周忌や三回忌などの年回忌供養は遺族が悲嘆と直面する節目で、段階的に行われることで悲嘆が軽減されての効果が出ていると考えられます。

ところで、その昔、お医者さんが見放す状態になると、お坊さんが枕元に呼ばれ、死に行く人に成仏の道を説き、仏画を吊して、仏名を唱えて、死の恐怖などを乗り越えられるようにと仏の救いを願い、仏のみ子となって旅立つよう本人の意識のある間に勤めたのが、枕経でした。

こうした行為が明治維新、廃仏の令が出され、禁止された為に、今日では死後にのみ枕経が勤められる様になりました。

それまでは日本の葬儀儀礼は深層なる手立てがあったと考えられます。

つまり、死者との交流を積極的に行う葬儀儀礼のあり方、死の関係を再び結びつける、お盆や彼岸などが、グリーフを昇華させる上で大きな効果があると言えます。

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山門大施餓鬼会のご案内【各家先祖精霊供養】

お盆供養とは別にお参り下さい

八月八日(火)
受付 八時三十分から
法要 十二時三十分

大切なご先祖様はじめ、戦没者、東日本大震災死者精霊、海上遭難死者等、有縁の諸霊供養の大事な行事です。
法要前にご参拝ご焼香されても結構です。
参拝時に盆幡をお配りします。
※申込み用紙(白色)にご記入の上ご持参下さい。

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お盆供養のご案内

ご本堂でお盆供養をお済ませの上お墓参りを致しましょう。

八月十三日(日)
午前の部 七時、九時、十一時
午後の部 一時
八月十四日(月)、十五日(火)
午前の部のみ 七時、九時、十一時

※お盆供養申込み用紙(青色)にご記入の上ご持参下さい。

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移動研修会に参加して

内海 淳子

今回初めての参加でしたので前の晩から少々緊張と楽しみで眠れず、この日を迎えることとなりました。

六月二十七日梅雨の時季、天気は曇り空の中、出発前に参加者全員が本堂前に整列、三宝御和讃、十句観音経をお唱えした後、バスに乗車し一路岩手県へ

釜石大観音を参拝、大観音胎内を下から順番にお参りした後清々しい気持ちになりました。

大観音胎内には
・弁財天(智恵の神)
・恵比須(商売繁盛の神)
・大黒天(財宝の福徳神)
・福禄寿(幸福と封禄と寿命を授ける神)
・毘沙門天(財福の神)
・寿老人(長寿を授ける神)
・布袋(世人を教化し弥勒菩薩の化身)
と階段の途中に、三十三観音と七福神が祀られていたことに感動いたしました。

参拝の後、近くにあるホテルで皆さんと共に昼食をいただきました。

その後、二〇一九年のラグビー世界大会(ワールドカップ)の会場となったラグビー場・鵜住居(うのすまい)復興スタジアムを見学。ルールは良く分かりませんが、男らしいスポーツだなあと思い見入ってしまいました。

また、陸前高田の道の駅や災害伝承館前で参加者全員で記念写真を撮り、買い物をしたり楽しく過ごすことができました。

移動研修会に参加させて頂き本当に有り難うございました。
このような機会を下さった小野﨑住職との出逢い、そのご縁で得た檀信徒の皆様との出逢いに感謝申し上げると共に、皆様にもぜひこの研修会や巡礼へのご参加をお勧めいたします。

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島国の中の島

安田 大也

夏ですね。

お盆休みはどうなされますか?

働き詰めで疲れた心身を、ふる里でほぐせたら良いですね。

洞源院では、今年も十三日から十五日まで、お盆供養が行われますが、お参りに来たときに偶然にも旧知の方々と逢い、遠い日々を懐かしんで談話されている光景が見受けられます。

渡波育ちの私は、小舟に乗って魚釣りをしたり、長浜海水浴場や袖の浜で泳いだり、時には万石橋の下で泳いでいるところを巡回の先生に見つかり、しこたま叱られたりしましたが、海で遊ぶことが好きで、日焼けして真っ黒になり、子ども同士で背中の皮をむいて、皮の大きさを競ったりしていました。

そんな幼少時代に想いふけっていたら、何故か「島」という言葉が脳内発生しました。

『はて、島国の日本に「島」は幾つあるのだろうか?』と三歳の時から治らない「なぜなぜ病」が再発したのでした。

そもそも「島」とは、自然に形成された陸地で、水に囲まれ高潮時においても水面上にあるものをいう。と国際連合条約にあ定められています。

国土地理院が今年の二月に三十五年ぶりに、一定の条件(周囲長が百メートル以上)で数え直した結果、これまで公表されていた六千八百五十二島から、実に倍以上の一万四千百二十五島(北海道・四国・九州を除く)になったそうです。

これは、地図の電子化に伴い調査精度が大幅に向上し、正確に把握できたということですが宮城県には六百六十六島もあり全国で六位になります。

その中で、人が住んでいる島は十一島で、北の方から気仙沼市の大島、女川町の江島、出島石巻市の金華山、網地島、田代島、東松島市の宮戸島、塩竈市の寒風沢島、朴島、野々島、桂島があります。

八百八島と歌われた松島には二百六十四島があるそうです。けっして嘘八百ではなく、古来より八という数字は、無限とか末広がりという意味に用いられていますのでそこは寛大に…

近くにも小さな島がいっぱいあり、それぞれの呼び方をしていた島もあることでしょう。

ふる里探訪のきっかけになれば幸いです。

因みに一位は、千四百七十九もの島がある長崎県です。

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若き英霊を悼む

米谷 ゆきひろ

彫刻家の高橋英吉は、一九一一年四月十三日石巻市湊に生まれ、石巻高校から一九三一年東京芸術大学木彫部入学一九三六年卒業、研究科に進むも翌年に中退し南氷洋向けの捕鯨船の乗組み員として一航海経験。

一九三八年から三年の間に制作した「黒潮閑日」「潮音」「漁夫像」の「海の三部作」が特に有名です。一九四〇年に結婚し翌年に長女が誕生しますが、同年に徴兵され第二師団に入隊、一九四二年ガダルカナル島(ガ島)マタニカウ川攻防戦で戦死

将来の活躍を期待された若き彫刻家の余りにも短い制作活動と結婚生活でした。

海の三部作のレプリカは石巻体育館、牧山公園、ガ島の首都ホニアラに建立されています。

私は、平成五年にソロモン海域の鯨類調査でホニアラに寄港した際、見晴らしの良い、大きな丘陵地に白御影石で囲まれた立像と慰霊碑を前にし、第二師団がほぼ全滅したガ島での激戦のことを想像し持参した小ロウソクを灯し、合掌しました。

帰路、鉄条網で囲まれた芝生の上に、三機の戦闘機、近寄ると機首がない戦闘機、片方の主翼がない戦闘機、尾翼が完全に失われた戦闘機、全て日本海軍の零戦でした。しばし呆然と眺め、お国のためにと戦い、愛機と共に散った若き兵士の無念を思い、涙を流しました。

ホニアラに入港するための海図には錨地が指定されていますが、錨地以外の海底は「鉄の底」を意味する「アイアンボットム・サウンド」と記され、底には船艦や戦闘機或いは重火器類が広範囲に散乱しており、激戦の壮絶さを物語っています。

今は、ダイビングスポットが至る所にあるガ島の海岸線ですが、米国版海図には「ブルードコースト=多くの兵士の血を流した海岸」と記されています。

高橋英吉氏を初めとする、多くの若き英霊に心から合掌。

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暮らしの中の仏教語 「ごぜんさま・おまえ

村崎四季折々

若かった頃は、夜の町に出ると必ず「ごぜんさま」になり、翌日(その日ですが)は、頭痛で不快な一日を過ごすことになり、その時は「今後こんな飲み方はしないぞ」と反省するのですが喉元過ぎると何とやら、痛みを忘れて繰り返すことが多かったように思います。

最近は、学習能力も付き、やっと大人になれたようで「ごぜんさま」はほとんどなくなりました。体力的限界なのか、年金生活で夜の町にでる軍資金が枯渇しているのかは定かでありませんが…

ここでいう「ごぜんさま」は「御前様」と「午前様」を引っかけたものですが、もともと、神仏の名を直接呼ぶのは畏れ多いとして、間接的に、しかも敬意を込めて「御前様」と呼ぶようになったとのことです。

天皇や皇族、高僧をも御前様と呼ぶようになり、やがて一般化したのは信者が住職を御前様と呼んだことが大きいと言われています。

宗旨によって住職の呼び方は御院主(ごいんじゅ)様、方丈(ほうじょう)様、御上人(おしょうにん)様、などといろいろありますが、御前様という呼び方が宗旨に関係なく多く用いられるようになった要因と思われます。

御前(ごぜん)を「おまえ」と読み替えたらどうなるでしょうか?「ごぜん」と言われて怒る人はいないと思いますが、「おまえ」と言われると不愉快に感じる人は多いと思います。

現在「おまえ」は、自分と同輩か後輩の人に対して使われているのでそうなるのでしょう。

昔は、相手を敬って「貴様(きさま)」「おまえ」と用いられてきましたが、現在は、相手を見下した、いわゆる「上から目線」で使われる言葉になってしまいました。

言葉の使い方は、本当に難しいですね。

どんな気持ちでその言葉を用いたのか真摯に受け止め、良い言葉を良い意味のままで後世に残していきたいものです。

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活動報告(5月~7月)

  • 境内蓮鉢囲い作製 5月4・5日
  • シャクナゲ鑑賞会(園児合同) 5月9日
  • 園児花まつり 5月16日
  • 護持会総会 5月21日
  • 第十三教区寺院総会 5月29日
  • 東北大留学生日本文化研修会  6月17日
  • 護持会移動研修(釜石大観音参拝・他)  6月27日
  • お寺清掃奉仕 7月30日

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行事予定(8月~12月)

  • 山門施餓鬼会 8月8日(火)12時半~
  • お盆供養 8月13日(日)7時・9時・11時・13時/14日(月)・15日(火)7時・9時・11時
  • 園児お泊まり会 8月18日(金)・19日(土)
  • 園児お月見会 9月29日(金)
  • 寺子屋寄席【柳家三語楼独演会】 10月14日(土)14時半~
  • お寺清掃奉仕 12月3日(日)8時半~
  • 成道会 12月3日(日)10時半~
  • 園児成道会 12月8日(金)
  • 護持会役員会 12月16日(土)13時半~
  • お焚き上げ 12月31日(日)

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尊像台座新調

聖観音菩薩・毘沙門天・不動明王の三尊は、鎌倉時代に制作。

以来当山の御本尊として祀られてきましたが、明治四年、七堂伽藍の堂宇を悉く焼失、幸い三尊を救い出すことができ無事でした。しかし、台座を失い、経机を仮の台として祀っていましたので、この度新調することに致しました。

制作は、仏像制作者の邱炳金氏。

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東北大留学生 日本文化講座再開

東北大担当講師 設楽宏二

米国、オーストラリア、ドイツルーマニア、スペイン系の留学生十二名が、六月十七日に洞源院を訪れました。令和二年秋の研修を最後にコロナ禍で中断していましたが、昨年十月に再開し、今回がコロナ後二回目の石巻訪問です。研修がどれ程深く心に刻まれ、各々の人生で特別な意味を持ったかを学生達はレポートを綴っています。ご住職の案内で荻浜まで足を伸ばし、外洋での大規模牡蠣養殖の歴史を辿ると共に、紙地蔵を海に流す巡礼も行いました。佐須浜周辺も訪れ、地区の方達にお話を伺う機会に恵まれ、地域社会にあるお寺を理解する助けにとなりました。

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お墓に供える花について

各家の皆様には、折に触れお墓参りをされ、その季節に合った、心のこもったお花を供えられていることは、ご先祖様や亡き方々への供養になることは言うまでもありません。

しかしながら、洞源院の墓地には、多くの野生鹿が侵入してきており、折角の花を食い荒らしています。

その為、花を食害から守る対策として、パラフィン紙で包んだままお供えする方を見受けますが、鹿は、そのパラフィン紙をものともせず、花を食い荒らしていきます。

そして、その残されたパラフィン紙は、風によって洞源院の下の住宅地に飛ばされてしまい、ゴミとなってご近所にご迷惑をお掛けしております。

洞源院では、以前より墓花は命あるもの、季節を伝えるものという意味で、生花をお勧めしております。

皆様のお気持ちは重々承知しておりますが、事情推察の上、お墓にお供えする際は、くれぐれもパラフィン紙を取り、お持ち帰り下さるようお願い申し上げます。

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おしらせ

境内に野生猿が出没しています
ご注意下さい

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