洞源院寺報なむ

第43号(令和5年1月1日発行)

正見(正しく見極める)

住職 小野﨑秀通

新春を迎え、皆様のご多幸を心よりご祈念申し上げます。

昨年はコロナ禍、ウクライナ侵略戦争、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題等混迷する社会を象徴する出来事が続きました。これらは一見すると異質に見えますが、人間の野望が原因で作り出されたものだといえます。

正月は修正(しゅしょう)の月ともいいます。心を清くして誤った見解や行為を改め修正して行く月です。一日も早くコロナ禍や戦争が終息して安心して生活が出来ればと祈ります。また、宗教者の一人として旧統一教会の問題は看過できません。

世の中には多くの宗教が存在しています。それぞれの宗教が、理念に基づきながら、人々の抱える問題にどう応えていくか。混迷時代の今、まさに問われていると思います。

一方、様々な宗教が存在する中に、新宗教とされる教団による問題が多く指摘されています。

そうした宗教と人間との関わりの中で、旧統一教会の問題が出てきました。特にこの団体は、政治家との関わりを持って、信頼性を高めようとしたカルト集団と言えます。教祖は韓国の文鮮明とその妻韓鶴子ですが、文は戦前日本占領下で「巨大国に踏みにじられた弱小民族の苦痛と悲しみがなんであるかを骨髄にしみるほど体験した」と語り、幼少期より日本に対する怨念が強く、戦時中日本に留学していながら抗日運動家として活動していました。そこにキリスト教との出逢いにより教祖の地位につきました。

教祖『発言録六百十五巻』というものがあって、その中で日本が戦時中、朝鮮半島でひどい事をしたと殊更に強調して、日本の信者に加害者意識を植え付け、贖罪意識(罪滅ぼし)を高め洗脳する記述があります。

この教団は、キリスト教の皮をまとった、朝鮮半島のシャーマニズム(呪術的原始宗教)だと言えます。病気治しとか悪魔払いとか、そうした現世利益的な説得で日本人が洗脳されているのが現実です。

更には自民族中心主義を掲げ、聖典を自分に都合のいいように解釈して、「韓国にメシアが現れ世界の言葉が韓国語に統一される」とまことしやかに信じ込ませています。巧みなカルトの人形使い、第一級の宗教的詐欺師と言えるのではないでしょうか。

自民族主義はロシアや中華人民共和国等の路線とも重なり、まさに独裁者の現れと言えるのではないでしょうか。

宗教は、人の人生を支配する事ではありません。個々の人生を尊重するのが宗教者としての役目だと考えます。いずれにしても、人生には苦しみは付きものです。その苦しみを冷静に観察して原因を正しく見極め、どのようにしたならよいかを仏の物差しに当てて考えることが大事です。

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大般若祈祷会のご案内

守り本尊御開帳 八大竜王神御開帳

1月18日(木) 
10時~10時半
ほうねん座座長佐藤正信氏
篠笛、太鼓演奏、演舞

11時~12時・
祈祷法要
家内安全・病魔退散・闘病平癒
身体壮健・子孫長久・家業成就
家門繁栄・除厄招福・商売繁盛
工事安全・交通安全・海上安全
合格祈願・学業成就・良縁結成
無事息災・海産豊穣・家庭円満
安産祈願・福寿長寿・心願成就

ご希望の願意を選び、白色の申込書に記入し、受付にご提出ください。
お檀家以外の方でも受付けていますので、ご遠慮なくお申込み頂き、お誘いの上お参り下さい。

※新型コロナウイルス禍のため、設斉(食事)のご接待が出来なくなりましたのでご了承ください。

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【人物紹介】③ 音楽と共に 内海 誠氏

私は石巻市渡波にて、音楽を愛する両親の元に生まれ育ちました。現在は県内外において、年間六十公演ほどの演奏活動を行っております。その内容は、指揮指導・バイオリン・ギター・ピアノ・トロンボーンの演奏が主で、作編曲や音響、音源制作にも携わっております。

令和四年中には、御住職と奥様に、私のコンサートへ、二度も御来場頂きました。一檀家として、御夫妻に大切なステージを見届けて頂いたことは、この上なく光栄な思い出となっております。

このように、先祖代々の菩提寺との深い御縁を、改めて頂戴したのは、最愛の父が昨春、旅立ったことでした。

二七日の法要の際、御住職のお許しを得て、御本堂のピアノをお借りし、短い楽曲を演奏させて頂いたのです。「松本ピアノ」と呼ばれる歴史ある作品の艶やかな象牙の鍵盤に触れた時の優しいぬくもりが、今もこの手に残っております。また、私が日頃からお世話になっている調律師の方が、そのピアノに長く携わっていらっしゃることも非常に嬉しい驚きでした。

そしてその帰り際、御夫妻から「四十九日、ぜひお父様へ向け、お母様のピアノと貴方のバイオリンで、演奏をお贈りしてはいかがですか。何よりの御供養となりますよ」とのお言葉を頂いたのです。

ピアノ教師である母と練習を重ねた日々、そして区切りの追善供養の舞台は、生涯忘れ得ぬ稀有な体験となりました。また、その席ではさらに、奥様をはじめ梅花講の皆様方が、母と私の演奏に対し、素晴らしい真心の御返歌をして下さったのです。

こうして私たち家族は、深い悲しみに覆い尽くされていた心の結びつき=絆が、穏やかに光を取り戻し、また揺るぎなく輝きを増してゆく日々を、肌身で感じるに至りました。

もし機会を頂けましたなら、せめてもの御恩返しに、いつの日か再び、ささやかに演奏させて頂ければ幸いです。

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令和五年にちなみ

安田 大也

新年おめでとうございます。

令和五年が平穏で実り多き年であることを願っております。

さて、今回は「五」をテーマに雑文を記したいと思います。

まずは、健康な一年をご祈念致しまして「五臓六腑」から…

「五臓六腑に染み渡る」という言葉がありますが、五臓六腑というのは、東洋医学の考え方で五臓(心臓・肺臓・肝臓・腎臓・ひ臓)、六腑(胃・小腸・大腸・膀胱・胆のう・三焦)とされますが、現代医学では、臓器として、すい臓がありますが、六腑の中に三焦というものはないので「六腑五臓」ということになるのだそうです。

いずれにしても、お節料理や御神酒を美味しく頂くためにも身体を労わりたいものですね。

次は、紀元前の中国で、孔子が広めた教え「儒教」の「五常の徳」といわれる「仁・義・礼・智・信」です。
「仁」は思いやりと慈悲の心。
「義」は正義の為に行動する。
「礼」は敬意をもって接する。
「智」は道理をよく知ること。
「信」は誠実であること。

思いやりの心を忘れず、私利私欲に溺れず、節度ある言動で接し、嘘偽りのない生活で平和な日々を過ごしたいものです。

さて、あまりにも堅苦しくては安田大也らしくないので、恒例のくだけた話を一つ…

「犬は、なぜおしっこをする時に片足を上げるか?」という実に壮大なテーマです。

昔むかし、弘法大師様が「わらう」という漢字を作ろうとして筆を持ちましたが、いくら考えても良い案が出てきません。

その時、庭から子ども達の笑い声が聞こえてきました。ちょっと障子を開けて見ると、子ども達が子犬にカゴをかぶせて遊んでいました。

カゴがきつくてどうしても取れず子犬が飛び跳ねているのが面白くて笑っていたのです。

大師様はそれを見て、犬という字に竹をかぶせてみたら、本当に笑っている様に見えたので「笑」という字ができました。

犬は昔三本足でした。そこで大師様は三本足では不自由だから、ご褒美に一本増やしてやろうと、四本足の五徳(なべ等を上げる道具)から一本取って犬に付けてやりました。

犬は大師様に頂いた足にオシッコをかけたら罰が当たると思い足を上げる様になったとさ。(福島県や佐賀県の昔話から)

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暮らしの中の仏教語 「注連縄(しめなわ)

村崎四季折々

お正月には、注連縄を新しくしたり、暖簾(のれん)を替え障子を張り替えたりします。神仏を祀る所は、魔を避ける清らかな場所であることが必要なので、そのために、区域を定めて界を設けるようにしました。そのことを「結界」というそうです。

注連縄は、結界の方法の一つで、初めの頃は縄を張り巡らすだけでしたが、藁を下げたり、四手(しで)という紙を下げるようになり、現在の形になったそうです。

禅寺では、座禅をする清浄な場所の入口に簾を下げて結界していましたが、冬場、隙間風が寒いので、代わりに布の幕を使うようになり、暖かい簾=暖簾になったそうです。

鎌倉時代から室町時代になると商家でも使われるようになり屋号を染め入れたり、ロゴを入れて店先に下げ看板のような役割も兼ねた形に変化していったようです。

「暖簾分け」「暖簾に腕押し」などの言葉もこの頃から使われたのでしょう。

一般家庭でも部屋や廊下の仕切りとしても下げるようになり現在では部屋のインテリアにもなっています。 結界の原点は「清らかさを保持し、魔障を遠ざけるもの」です。私たちの日常の生活でもこの結界は大切なものです。

「オレオレ詐欺」や「カルト集団」などは、無防備な結界のなかに侵入してきます。しっかりした結界を作って、安心・安全で清らかな生活を送りたいものです。

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【第三十回 寺子屋寄席】ちえぶくろの会

今回は、寺子屋寄席第三十回目の記念の会。古今亭菊太楼師匠をお招きしての開催となりました。

独演会一席目の演目は「天狗裁き(てんぐさばき)」

うたた寝している亭主が、笑ったり、怒ったり、うなされたりしている。何か夢でも見ているのだろうと女房が揺り起こして聞くと「夢なんか見ていないよ」と亭主。「女房にも言えないような夢を見てたのか」と言い争いになり夫婦喧嘩に。

隣の旦那が飛び込んで来て、喧嘩の訳を聞き、「本当は、どんな夢見てたんや?」と聞きだそうとして、こちらとも喧嘩になる。

それを聞いていた家主も仲裁に入り、終いに聞き出そうとするが、話してくれないので、家主も怒りだし、長屋を追い出すと言われてしまう。 困り果てて、亭主は奉行所へ「願書」を差し出す。奉行も夢の話しを聞き出そうとするが出来ず怒りだし、亭主を奉行所の松の木に吊るす。

今度は、そこに天狗が現われ天狗も聞き出そうとするが、亭主は話せず、天狗に恐ろしい仕打ちを受けるところで、女房に起こされ目が覚めるというエンドレスな噺。

二席目は「死神」

死んでしまおうと首を吊ろうとしている男の前に死神が現われ「この世で患っている人には死神がついていて、枕元にいれば助からないが、足元にいれば呪文を唱え、死神を追い払えば病気が回復することができる」と医者になりすまし、金儲けすることを教える。

早速、男は大富豪らの病気を治し、有名になる。ところがある日、病に苦しむ豪商の家に行ったら、運悪く枕元に死神が。男は死神が居眠りしている間に布団を百八十度回転させたら豪商はたちまち回復する。

それに怒った死神は、男をロウソクが並んである地下に連れ込み、短いロウソクを指し「これがお前の寿命だ」と告げる。死神は豪商とこの男の寿命を取り替えたのである。

死神は、新しいロウソクを男に渡し、火を移すことができれば命は助かるといわれ、火を着けようとするが焦ってなかなか着けられない。ようやく新しいロウソクに火が着いたと思ったら、死神が「フッ」と吹き消すというこわい噺。 

今年は、三十周年を記念した二回の抽選会。菊太楼師匠から提供のサイン入り色紙、手ぬぐい、扇子、米谷会長の奥様手作りのシルクの巾着やエプロンや新米と豪華な景品でした。

今年も多くのご来場をお待ちしています。

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活動報告(8月~12月)

  • 山門大施餓鬼会 8月8日
  • お盆供養 8月13日~15日
  • たから・ひがし保育園園児合宿 8月19日~20日
  • 永代供養・愛々動物供養 9月23日
  • 寺子屋寄席 10月15日
  • 園児落ち葉拾い焼き芋会 11月16日
  • 清掃奉仕・成道会・マリンバ演奏と語りの世界 12月4日
  • 護持会役員会 12月17日
  • お焚き上げ供養・除夜の鐘 12月31日

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行事予定(1月~4月)

  • 三朝祈祷 元旦(日)~3日(火)
  • 大般若祈祷会 1月18日(水)10時~
  • お涅槃会 2月12日(日)13時半~
  • 東日本大震災13回年忌法要 3月11日(土)9時~/10時~/11時~/13時~
    ※塔婆事前申込みが必要です。 
  • 東日本大震災合同慰霊供養 3月11日(土)14時~
  • 春彼岸供養 3月18日(土)9時・11時・13時/19日(日)~21日(火)9時・11時 
    ※各30分前から受付
  • 永代供養 3月21日(火)13時半愛々動物供養/3月21日(火)14時
  • 花まつり 4月23日(日)13時

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押し絵「元気な笑顔」

寺族 小野﨑美紀

美紀先生~こっち・こっち!

理事長先生~見て・みて~!

桜咲く心地よい風の中、子ども達のはしゃぐ元気な笑顔…

六年前、福島県の鈴倭夢海先生のあどけない子ども達の絵を見た瞬間、保育園での光景がオーバーラップし、千載一遇のチャンスと押し絵作りを思い立ちました。

いまにも動き出しそうな小っちゃいお手々や、あんよ、一人ひとりの可愛いお着物を和紙で作り出来上がっていくのが楽しみでなりませんでした。

しかし一年半前、脳梗塞を患い子ども達の歓声が遠くなるようで「人生にはいろんなことがあるんだなぁ」と心を整理したつもりでおりました。

しかし、リハビリで少しずつ回復していく中、方丈と共に日曜学校を始めた頃、仏の教え六つの願いがあり、その一つに「使命に生きる」というのを思い浮かべ、意欲ある日常が戻り始めました。

さらに夢海先生が後押しをして下さり、完成させた作品を届けて下さいました。無類の悦びでございます。押し絵の中ではありますが大切な子ども達に再び逢うことができ、多くの方々にも楽しんでいただけたら幸いです。

被災地の子ども達よ、健やかに幸いあれ。       合掌

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仙台育英高校 優勝おめでとう

米谷行弘

新年おめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

 さて、これまで春夏合わせて十二回決勝に臨んだ東北勢、初めて頂点に立ち、悲願の優勝旗の「白河の関越え」が叶いました。

いつも私が応援するのは郷土の高校で、負けると東北勢の踏み止まった高校を応援するのが常です。「負けるな頑張れ、がんばれ」とこれまで何十年と応援してきました。それだけに応援していた高校が敗退した時のショックは計り知れません。

しかし、昨年の仙台育英は、逞しく、すごく洗練されたチームに映り、さらに投手五人が百五十キロの速球を投げ、しかも安定したコントロールで、応援にも自然に力が入りました。

甲子園のベンチに入った八人の二年生は本当にいい経験をされたことでしょう。

仙台育英高校の優勝は、いつまでも心に残り、語り継がれるでしょう。

郷土の全ての高校球児が、これからも厳しい練習に耐え、素晴らしい野球を見せていただきたいと願っています。

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