洞源院寺報なむ

第42号(令和4年8月1日発行)

墓所について

住職 小野﨑秀通

近年、死者への対応の考え方が変化してきています。身内だけの家族葬で送りたいという方も多くなりました。また、墓地を求めないで、散骨を希望する人もいます。その結果、残された方々が心の拠り所を失い、悲しみを引きずり長い間、癒やされることなく苦しみ続けている事例が、新聞にも掲載されていました。

以前「千の風になって」という歌が流行しました。二〇〇一年の米国同時多発テロ事件(九・一一)後にヒットした歌です。

「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています。・・・・」と歌われてから歌詞の意味を誤解してか、墓を軽視してきているのではないかと危惧しています。

亡くなった方の魂が宿るとされるお墓は、故人を想い、その冥福を祈るためのシンボル的な存在です。

インドでは、お釈迦様の舎利を八ヶ所に分け、仏舎利塔を建てて祀ったのが始まりで更に各国に分骨し広がり、仏教信者がその仏舎利塔に敬礼して心の拠り所としています。

お墓は、次第に薄らぐ故人と過ごした記憶を確かめ、繋がりを確認できる心の拠り所としてご遺族を支えています。拠り所がないと言うことは、心を定める所がないと言うことです。

例えば、日本では、山は神の社(やしろ)であるとして神聖な所とされてきました。しかし山全体が社だからとして山の神を拝もうとしても心が定まらず不安な気持ちになります。そこで、山の入口に小さな祠(ほこら)を造り、その祠に心を留めて、山での安全を祈り、自然の恵に感謝する心が湧き、安心することができます。私たちは、一つの所に心を留めることによって落着くことができます。

例え「千の風になって」宇宙の彼方にあろうとも、お墓の前にお参りしているときは、心の中で亡き人と向き合っていると信じ、心のやすらぎを感じる大切な場所です。

ご遺族が大切な方を失ったという喪失感は簡単に癒えるものではありません。故人を身近に感じられるお墓に手を合わせ、出来事を報告したり、悩みを相談したりすることで、遺族は少しずつ気持ちを整理し、その死を受け入れることができるようになります。更に、お参りは、家族との関係を見つめ直し、自分の命が大切に受け継がれてきたものであることを再確認する機会でもあります。

家族が先祖を重んじる姿勢を子供たちに見せることが、情操教育に役立ちます。どうぞ家族みんなでお参り下さい。そして常に皆さまをお守り下さっているご本堂のご本尊様にも是非お手を合わせ下さい。

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山門大施餓鬼会のご案内

【各家先祖精霊供養】お盆供養とは別にお参り下さい。
8月8日(月)
 受付 8時30分から
 法要 12時30分

本年もコロナ禍のため、設斉(食事)のご接待を控えさせていただきます。

大切なご先祖様はじめ、戦没者、東日本大震災死者精霊、海上遭難死者等、有縁無縁の諸精霊供養の大事な行事です。

法要前にご参拝ご焼香されても結構です。

*申込み用紙(緑色)に記入の上ご持参下さい。

お盆供養のご案内

お寺でお盆供養を済ませてから、お墓参りをしましょう。

8月13日(土)
 午前の部 7時・9時・11時
 午後の部 1時
8月14日(日)・15日(月)
 午前の部のみ 7時・9時・11時

※お盆供養申込み用紙(白色)にご記入の上ご持参下さい。

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人物紹介 ②

ムエタイ選手
倉持 天一夢君

流留で輸入水産機械の販売メンテナンス業・㈱テイジコーポレーションを経営する倉持悌慈氏の二男の天一夢(てんま)君(十九歳)をご紹介します。

天一夢君は、万石浦中学校を卒業後、タイ王国のトレイルブリティッシュスクールに留学し今年六月、タイの名門私立大学アサンプション大学に入学し、勉学に打ち込むと共に「ムエタイ(タイ式キックボクシング)」に励んでいます。

天一夢君は、流留のキックボクシングジム「鷹虎ジム石巻支部」に所属していますが、五歳の時に、お父さんの「自分の身を守るために」という言葉に後押しされ、四歳上の兄・心一夢(しいま)君やジムの仲間と日々厳しい練習に励みました。

その努力の甲斐あって、二〇一六年にピーターアーツスプリット全日本大会でU-15(十五歳以下)の日本王者、翌年には同世界大会U-15にて世界王者とWBC(世界ボクシング評議会)ムエタイジュニアU-15第三回全国大会の王者に輝き、更に本場タイ・バンコクで開かれた世界大会のジュニアウエルター級タイトルマッチを制覇するなど、実に輝かしい戦績を収めています。今回の取材に当たり、お父さんのご配慮で、オンラインで天一夢君とお話しできましたが、通学する直前の慌ただしい時にも関わらず、実に礼儀正しく対応して下さいました。小学生の時から夏休みにムエタイの本場タイへ渡り、練習していたとはいえ、異国での生活は相当のご苦労があるのでは?という質問に「辛い食べ物が苦手でしたが徐々に慣れ、言葉にも苦戦しましたが、三年経った今では、タイ語も英語も日常会話ができるようになりました」そして「大学では英語を主体としたコミュニケーション能力を活かせる人材を目指すと共に、ムエタイの方もより一層、力を発揮できるように頑張りますので、故郷石巻の皆様にも応援して頂ければ嬉しいです」と笑顔で結んでくれました。

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安田 大也

あんだだいやです。

風呂上りに缶ビールを飲んでいたら「生」という字に激しく反応し、妄想が始まりました。

漢字には音読みと訓読みがあり、更に人名や地名など特殊な読み方をするものがあることは皆さんご存知のとおりですが、この「生」という字は、数ある漢字の中で一番読み方が多いということをご存知でしたか。

生憎=アイにく、生きる=イきる、生花=イケばな、生まれる=ウまれる、生=ウブ、生い立ち=オいたち、生蕎麦=キそば、皆生=かいケ、福生市=ふっサし、生涯=ショウがい、往生=おうジョウ、早生=わセ、生活=セイかつ、晩生=おくテ生傷=ナマきず、生業=ナリわい、鈴生り=すずナり、生える=ハえる、芝生=しばフ、壬生=みブ、苔生す=こけムす… ざっと挙げただけでも二十種類程に読めるようです。この他にも、ふりがなをどの様につけるのか判らないような使い方をしているのもあります。

例えば、弥生=やよいの生は「ヨイ」なのか「イ」なのか、桐生の生は「ウ」なのか「リュウ」なのか、或いは生糸の一種で生絹と書いて、すずしと読むそうですが、この場合も「ス」なのか「スズ」なのか悩ましいところです。その他に、神戸市の生田区はイクたくと読みますが、生垣はイケがきと読みますし、フィギュアスケートの羽生は、はニュウですが、将棋界の羽生は、はブと読むなど数え切れません。

たった五画の簡単な漢字ですが、古くからこんなに使われていたのは何故なのでしょうか? 高校時代に枕代わりにしていた古い漢語辞典を出してきて調べてみました。

この「生」という字は、地面から草木が生い立つ様を形どり生まれる、生きる等の意を表しており、生命や生長に関係すると解説されています。

以前、和尚さんに「この世に人として生まれ、存在していることは奇跡そのもの。計り知れない程の縁があって人は生きている。それを感じながら生きること。生きることに無駄はない虚しく生きるようなことがあってはならない」と聞かされましたが、先人達も古くから人間に限らず、万物の「生」を意識した言葉を作り、尊い生命を重んじてきたのではなかろうかと思いをめぐらした夜でした。

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四年目の札所巡り

護持会会長 仁杉圓一郎

朝から良い天気に恵まれ、仏様に善哉、善哉と言われている様な心地です。

今回は「みちのく巡礼宮城三十三札所」巡拝四年目、残る十ヶ寺の札所を巡拝するお遍路結願の日です。

平成二十六年、元高校教師の桜井氏が大震災に遭った東北各地に慰霊と伝承の祈りの場を創ろうと「一般社団法人みちのく巡礼」を創設されました。

時を同じくして、洞源院小野﨑住職が曹洞宗宮城県宗務所長に就任した事により、宮城札所決定に大きく関わる事となり、平成二十八年一月「みちのく巡礼宮城三十三札所」が決定し創設されました。

この「みちのく巡礼宮城三十三札所」は宗派を超え、曹洞宗・臨済宗・真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗が参加し、構成されています。

札所会初代会長には十三番札所の洞源院住職が就任しました。

巡拝は他宗派の寺院の建造物や、御本尊様をお参り出来る楽しみがあります。

浄土宗の札所では「南無阿弥陀仏」と唱え巡りました。

県南の寺院は伊達家と関わりが多いのも発見でした。

閖上の東禅寺では、津波で行方不明の御本尊様と開山像が奇跡的に見つかり再建の本堂に安置されてありました。

秋保の西光寺の黒い巨大な不動明王様には驚きましたが、さらに驚いたのは、山形県山寺立石寺の奥の院である事でした。

曹洞宗の高祖道元禅師が修行された延暦寺の別院が立石寺で不滅の法灯が両寺に灯されています。信長の焼討ちで法灯が消えた際、立石寺より灯が運ばれ今に法灯が続いています。

高祖道元禅師に導かれての三十三札所巡拝を感じました。

猛暑の中、二十三名の参拝者はよく頑張りました。

合掌

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暮らしの中の仏教語 院主・坊主・坊や・庵主・亭主

村崎 四季折々

寺院には、寺号(じごう)や洞源院のように院号(いんごう)を名乗るところがあり、住職のことを院主(いんじゅ)という宗門もあるそうです。

本山格の寺院には、そこに付属する小さな寺院が作られ、坊(ぼう)=塔頭(たっちゅう)と呼ばれてきました。平安時代大寺院の僧侶は一坊を構え、世の人々は「御坊」(ごぼう)と呼び、その主を敬い坊主(ぼうず)と呼ようになったそうです。

坊主の剃髪した頭と似ていることから、毛のない頭を坊主頭というようになり、毛を剃った幼児を親しみを込めて「坊主」「坊や」とか「坊ちゃん」というようになりました。

坊主は、本来は敬語として使われてきましたが、時代とともに「坊主読み」「坊主丸儲け」などと蔑称で使われるようになってしまい残念でなりませんね。

庵は、寺院や坊より小さな建物で、これも号として使われています。その主が庵主(あんじゅ)と呼ばれていました。こちらは、坊主のように蔑称されずに意味が変わって尼僧(にそう)と呼ばれているようです。

最後は、亭主の話です。

茶室は、接待する小さな建物で「○○亭」と呼ばれています。後世に接待をする施設を「○○亭」というようになり、そこの主を亭主というようになったそうです。ホストの意味で亭主といい、夫を亭主というにように変わってきたそうです。

院主、坊主、庵主は、主僧であり、寺院の主(あるじ)で良いのですが、亭主(夫)を家の主と規定するのは、如何なものでしようか?

妻が夫のことを「主人」と呼ぶ方がいらっしゃいます。庵主も含め「女主人」もいますし、女性でも良いわけで「ジェンダー平等」の視点からも違和感を持つのは私だけでしょうか?

などと落としどころが見つけられず、これを「落ち」にもってきましたが、みなさんも考えてみて下さい。

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活動報告(5月~7月)

  • 写経会 5月・6月・7月第1日曜
  • 園児花まつり 5月17日
  • 護持会役員会 5月29日
  • 護持会研修旅行みちのく巡礼 6月30日~7月1日
  • 清掃奉仕 7月31日

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行事予定(5月~8月)

  • 山門大施餓鬼会 8月8日(月)12時半~ 受付 8時半~
  • お盆供養 8月13日(土)~15日(月)
  • たから・ひがし保育園園児合宿 8月19日(金)~15日(土)
  • 永代供養・愛々動物供養 9月23日(金)13時半
  • 寺子屋寄席 10月15日(土)14時半~
  • 清掃奉仕 12月4日(日)8時半~
  • 成道会 12月4日(日)10時半~
  • 護持会役員会 12月17日(土)14時~
  • お焚き上げ・除夜の鐘 12月31日(土)23時~

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第三十回 寺子屋寄席 古今亭菊太楼師匠独演会

十月十五日(土曜日)
十四時開場
木戸銭千円

前売り券は、お寺及び「ちえぶくろの会」会員からお求め下さい。

お陰様で三十回を迎えることができました。今回も大勢の皆様にご来場下さいますようお待ちしております。

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写経会へのいざない

毎月第一日曜日
午後一時半~三時

慌ただしい日々の中、やすらぎのひとときを写経で癒されてみませんか。

字の上手下手に関わらず、筆記具は鉛筆でも可能です。

ただ浄行するだけです。

是非一度参加してみて下さい。

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御堂建設勧募のお願い

檀信徒皆様には御堂建立の趣意をご理解賜り、ご寄付をお寄せいただいている事に心より感謝申し上げます。

洞源院では、新天皇が即位なされた令和元年に新たな誓願を立て、東日本大震災犠牲者の鎮魂と戦争のない平和を欣求し、国家安泰、檀信徒皆様の安寧、ご先祖様へのご回向を乞い願い、仮安置されている観世音菩薩、不動明王、竜王神等諸仏尊を御遷座奉安する御堂建設の計画を立ててきました。

既に計画以来、三年が経過し、現在、御寄付をお寄せいただいている金額は凡そ三千万円弱と予算上の半分に満たない状態にあります。

五カ年計画で実現するには、令和六年完成となり、あと二年の間に資金の工面をしなければなりません。完成実現のためには更なるご協力を賜わらなければなりません。

何とぞ皆様の信心を形にする功徳をお積み下さるようお願い申し上げます。

御堂建設委員会 合掌

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土用の丑の日

編集長・米谷 行弘

土用とは「立春・立夏・立秋・立冬」の前十八日間のことでその期間中の丑の日を「土用の丑の日」と呼び、年によっては二回の時もあります。

今年の夏の土用の丑の日は、七月二十三日と八月四日です。

昔から、体調を崩しやすい夏にはウナギを食べて栄養を摂ろうという考え方で、土用の季節の変り目に食することは、たいへん合理的といえます。

実際、ウナギにはビタミンAやビタミンB群など、疲労回復や食欲増進に効果的な成分が多く含まれており、夏バテ防止にぴったりの食材といえます。

皆様方には、猛暑厳しい夏となりましたので、熱中症等に十分ご注意なされご自愛下さい。

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