洞源院寺報なむ

第39号(令和3年8月1日発行)

お通夜

住職 小野﨑秀通

「畳の上で大往生したい」と誰もが願うことでしょう。現実には十人のうち一人いるかいないかです。

京都堀川病院の早川一光先生は「人間は、生きてきたように老い、老いてきたように死を迎えていく。生きざまが老いざまをつくり、老いざまが死にざまをつくるんだ」と。それを踏まえて畳の上で死ねるためには

  • 入院するような大きな病気をしないこと
  • 尊敬されるお年寄りになること
  • お年寄りを尊敬する子どもたちをいっぱいつくること

この三大条件が満たされないとできないということが分かりました。そのため素晴らしい死別は、素晴らしい一日一日の連続の上に手に入れられることを知ってほしいと言われています。

さて、お通夜はお葬儀前夜に親族や親しい友人などゆかりの深い人々が集って、故人の最期の夜を共に過ごし、想い出話を語りながら冥福を祈り、別れを惜しみます。

曹洞宗では、釈尊の遺教に従い、道元禅師の『正法眼蔵』を基にした『修証義』を遺族参列者と一緒にお唱えし、成仏を願います。

お通夜では、遺族は夜通し灯明と線香の火を絶やさないようにし、故人を守るという意味もありました。そして、夜通し故人の側にいる遺族を弔問し、慰めることが風習になってきました。

また、弔問客をもてなすため近所や親族の手によって料理が振る舞われていました。

現代では、夕方十七時~十八時頃お通夜が始まり、通夜経を読みます。その後、通夜振る舞いの席に移ります。また、時にはお通夜の前に日程の都合上、火葬をすることもあります。

こうしたお通夜の由来は、お釈迦様がお弟子や多くの人々に最期の説法「遺教」を残され、旧暦二月十五日の真夜中、満月の煌々と輝く中、八十歳のご生涯を終えられました。するとお弟子や信者の人々が嘆き悲しみ頭髪を乱して憂い泣き、打ち悶えているのを見て、アヌルッタ長老は「やめよ、やめよ、悲しむことなかれ。お釈迦様は、生あるものは必ず滅す。私の肉体が滅びても、説いてきた教えは残ると申されているではないか」と諭されながら、お釈迦様の尊い教えを語り続け、夜を徹してお釈迦様を偲ばれ、七日七晩火葬の前夜まで続きました。 このように、大切な人を偲ぶ行事として勤められるようになったのです。

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山門大施餓鬼会のご案内

【各家先祖精霊供養】
お盆供養とは別にお参り下さい。
八月八日(日)
受付 八時三十分から
法要 十二時三十分
本年もコロナウィルス禍のため、設斉食事のご接待を控えさせていただきます。
大切なご先祖様はじめ、戦没者、東日本大震災死者精霊、海上遭難死者等、有縁無縁の諸精霊供養の大事な行事です。
法要前にご参拝ご焼香されても結構です。
*申込み用紙(緑色)に記入の上ご持参下さい。

お盆供養のご案内

お寺でお盆供養を済ませてから、お墓参りをしましょう。

8月13日(金)
午前の部 7時・9時・11時
午後の部 1時

8月14日(土)・15日(日)
午前の部のみ 7時・9時・11時


※お盆供養申込み用紙(白色)にご記入の上ご持参下さい。

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呆状記(ほうじょうき)

てるてるぼうず

自慢の友人がいる。 「お人好し」ではないが、困っている人を見ると、何はともあれ「何かしなければ」と思うと同時に行動してしまう人。

何の得もなく、むしろ身銭を切っているのだが、それでも、相手が笑顔になれば「まぁいいや」と割り切るようだ。

その彼は今、県内のNPO団体の手伝いで、支援物資などを富谷から気仙沼や牡鹿・雄勝方面にマイカーで送り届け、更に少ない年金で大量の米を買い求め、東京の子ども食堂へ送り続けている。

何故そこまで?と思うほどの行動力で、何が原動力となって彼を突き動かしているのだろうかと常々感服している。

ある日、その彼とお茶飲みをしていた時、十数年前に参拝した永平寺の正門にある大きな一対の石柱に刻まれていた言葉を思い出した。

向かって右には「杓底一残水(しゃくていいちざんすい)」左側には「汲流千億人(きゅうりゅうせんおくにん)」と刻まれていた。

この言葉の由来は、永平寺をお開きになった道元禅師が、仏前にお供えする水を毎朝、門前を流れる川の水を柄杓(ひしゃく)で組んでいたが、その際、必要な分の水だけを使い、柄杓の底に残った僅かな水でも捨てずに川に戻していたそうだ。

川には水が豊富に流れ、無くなる心配はないのだろうが、どんなに水が豊かにあったとしても一滴の水も粗末に扱わない。その一滴を川に戻せば下流で水を使う人々、更にその先の人々の為になるという思いやりの心からの行いだったそうです。

「杓底の一残水・流れを汲む千億人」という言葉は、自分のことだけを考えるのではなく、他者を思いやる心も大切にしなさいという道元禅師からの強いメッセージなのでしょう。

想像を遙かに超える自然災害や感染症等に翻弄され、日常生活に支障を来している人々がいること、困窮していても、声に出せず、苦しんでいる人々が数多くいることを、世間に知らしめる我が国のメディアは、残念ながら少ないようだ。

東日本大震災の折、世界中から温かい手を差しのべて頂いたご恩を、今、困っている人達に「恩送りをする」気持ちを持ち続けなければと思っている。

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みちのく巡礼

木村 みどり

みちのく巡礼とは?

恥ずかしながら最初は全く知らなかったのですが、東日本大震災で犠牲になられた方の慰霊と、ご遺族や被災された方々の心の癒しを目的に被災三県(宮城・岩手・福島)の中で宮城は三十三ヶ寺が札所として名乗りを上げられたと小野﨑住職からお聴きし、二年前から檀家様と共に参加させて頂いております。

今回は七月七日、天気は朝から生憎の雨。そういえば今日は七夕か、七夕は雨の日が多いはず…と調べてみたら、過去五十九年間の七夕の夜に東京で晴れたのは、たったの十八回、統計的にみても晴れを期待できなかったのかも。でも、七夕に降る雨は「催涙雨(さいるいう)」または「洒涙雨(さいるいう)」と呼ばれ、織姫と彦星が流す涙に見立てられているそうです。年に一度しか逢えない二人が笑顔で再会できるように僅かな時間でも晴れてほしいものですね。

と話が七夕の方にそれてしまいましたが、最近、私は日常生活の中で「とは?」と思うことがあると、すぐ調べるようになりました。子どもの頃にもっと…と後悔しつつ、学びたい!と思う事が多くなったのは、洞源院で毎月行われている写経会に参加していることも影響がある気がしています。写経中はもちろんその後もとても穏やかな心になっているのに気づくのです。

本題に戻ります。スタートは東松島市大曲の寿昌院。近くにあるのにこの機会がなければ訪れることも、実情を知ることもなかったと思います。寿昌院のご住職は、十年目の節目だと報じられているが節目ではない、十回目の命日だと仰います。

檀家で170人以上が犠牲となり、毎年、慰霊碑の前で(漁協の時計が止まった)15時52分に供養をしており、先代が亡くなったことなど涙ながらに話されていたのが、とても印象に残りました。

その後、瑞巌寺、仙台の昌林寺、愚鈍院、賢聖院をお参りしましたが、どのお寺さんもその長い時を経て今に至る事を分かり易く話して下さいました。こういう機会がないと会得できない貴重な一日であり、この機会を与えて下さった小野﨑住職との出逢い、そのご縁で得た檀家様との出逢いに感謝申し上げると共に、皆様にもこの巡礼へのご参加をお勧めいたします。

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佐藤雄一著『牡鹿三十三所を巡る』

住職 小野﨑 秀通

先般、『石巻かほく』に紹介されたので、お電話でお尋ねしたら、贈呈して下さいました。

著者は前文で「石巻真野長谷寺萱原観音堂を調査していた時に、観音堂正面の掲額が〝牡鹿三十三所巡礼詠歌〟であることを住職からご教示を受け、二週間ほど解読に取り組むことになった。解読が終わってから、全文を検討してみると〝牡鹿三十三所札所〟の分布範囲は、合併前の旧石巻市内で、それも万石浦を越えることはないことが確認された。

ところが近年、市内の寺院を廻っていると〝牡鹿三十三所〟なる標識を見掛けるようになり、三十三所の範囲も、万石浦を越え、さらに桃生郡内の寺院も別格のような形で表記されていることに気がついたのである。〝牡鹿三十三所札所〟の範囲を逸脱しているものである。」と評している。

旧札所以外の寺院が札所となっていることが逸脱していると厳しいご批判をされているが、新規加入寺院がなければ〝牡鹿三十三所札所〟は過去の遺物となり、現在に継承されることがないことも認識しなければならない。

明治維新政府は、天皇を神格化するため、それまでの神仏混交の融和策を一変させ、神仏分離令を発布、廃仏毀釈の政策に切り替えた。中国の文化大革命と同様に、全国の寺院用地は国家に没収され、廃仏を余儀なくされた。廃仏毀釈は明治九年まで続いたが、各家庭に神棚を奨励することを条件に僧侶の復活と寺院の再興が許された。この時、檀家を持たない寺院は廃寺のままとなった。〝牡鹿三十三所〟もこの時廃寺となり、一番、三番、五番、六番、八番、九番、十六番、二十番、二十五番の九ヶ寺が廃寺のままになっている。

観音霊場を巡りたいと願う人がいても、巡る寺がなければ実現できない。心の拠り所を復活したいと、昭和五十年代、当時の石巻観光協会事務局長、鹿又の統禅寺住職浜尾正剛師が、廃寺代拝寺として復活させ、洞源院は第八番を復活させる代拝札所となったのです。

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暮らしの中の仏教語 おしゃか・だいなし

村崎 四季折々

何かを作っていて失敗したり勝負ごとをして無一物(むいちもつ)になると「おしゃか」になったと言います。無一物になることは、裸になることなので四月八日の釈迦誕生仏にひっかけて表現されたものだそうです。

昔、鋳物師が「阿弥陀様」を鋳ようとして、間違って「お釈迦様」を作ってしまったそうです。お釈迦様になってしまったことから「失敗した」ことを「おしゃかになってしまった」と使うようになったそうです。
これも諸説あるのかな?今度チコちゃんに聞いてみようと思います。

お釈迦様は、仏となって極楽で、私たちを待っています。極楽で仏様達は「蓮台」の上におられます。この世でも仏様を祀る時には「蓮台」を足元に付けます。この台をなくせば、文字通り「だいなし」になります。このことから、せっかくのものがダメになることを「だいなし」というようになったそうです。

「ダイナシ」というパチンコ屋、あっ!「ダイナム」でしたね。そこで「だいなし」になり「おしゃか」にならないよう注意して、「勝負ごと」を楽しんでほしいと思います。

お釈迦様を台の上にお祀りして、おしゃかにならずにお釈迦様になる毎日を過ごしていきいたいものです。

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お墓参りのエチケット

洞源院では、お檀家の皆様やご縁のある方がお墓参りをされるときに、少しでも気持ちよくお参りして頂きたく、通路等の雑草を刈っていますが、最近、ゴミが散見されます。

隣り合ったお墓の間にあるとお互い不快になると思います。

お墓を掃除した場合に出たゴミやお供え物は、必ずお持ち帰りになるようお願い致します。

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活動報告(5月~7月)

  • 花まつり ひがし・たから保育園児 5月19日(水)
  • 花まつり・護持会役員総会 5月22日(土)
  • 護持会研修旅行みちのく巡礼 7月7日(水)
  • 写経・写仏会 5月9日(日)・6月6日(日)・7月4日(日)
  • ちえぶくろの会総会 6月25日(金)

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行事予定(8月~12月)

  • 清掃奉仕 8月1日(日)8時半~
  • 山門大施餓鬼会 8月8日(日) 受付8時半~ 法要12時半~ 
  • お盆供養 8月13日(金)~15日(日)
  • たから・ひがし保育園園児合宿 8月19日(木)20日(金)
  • 永代供養・愛々動物供養 9月23日(木)13時半
  • 寺子屋寄席「三笑亭夢花師匠独演会」 10月16日(土)14時~
  • 清掃奉仕 12月5日(日)8時半~
  • 成道会 12月5日(日)10時半~
  • 護持会役員会 12月18日(土)14時~
  • お焚き上げ・除夜の鐘・年越しそば 12月31日(金)23時~

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海洋汚染

米谷 行弘

現在、世界中で海洋汚染が深刻な問題となっています。

四方を海に囲まれている日本にとっても大きな問題で、その大半は海洋ゴミによる汚染です。

海洋ゴミは、年々増え続け、このまま何の対策も行わなければ2050年には、海洋に住む魚などの生物よりも、ゴミの方が多くなると言われています。

とりわけ深刻なのは、海洋プラスチックゴミですが、生物や環境に多大な影響を与える物であり、そのほとんどは、私たちの日常の暮らしで使われ、捨てられたペットボトルやビニール袋等が海に流れ込み、汚染の原因になっています。

厄介なことに、海に流れたペットボトル等が、波にもまれたり劣化により、直径5ミリ以下のマイクロプラスチックと呼ばれる極小プラになり、さらに微粒子になって日本近海に広く浮遊しており、調査では北極海や南極海でも観測されています。

海洋ゴミの影響は、海洋生物の700種類に及び、そのうちウミガメの50%、鯨やイルカの56%、海鳥にあっては90%がプラスチック片を摂取していたと報告され、鯨の胃袋から80枚のビニール袋が見つかった事例もあります。さらに、一部は海岸に流れ着く「漂着ゴミ」になり国内では2014年の調査でその総量は31~58万トンと報告されています。

日本の一人当りのプラゴミ排出量は、アメリカに次いで2番目に多い「プラゴミ大国」です。

ゴミ削減に向けて、ようやく「プラスチック資源環境促進法」が成立し、令和4年4月から施行の見通しとなりました。

循環型社会の仕組み

プラスチック資源の3R
①レデュース(減らす)・・極力代替品素材への転換を図る
②リユーズ(再使用)・・詰め替え容器の使用
③リサイクル(再生利用)・・素材毎に分けて、それぞれ再加工して新しい製品を作る。
汚染対策
不法投棄や海岸、河川でのポイ捨て、漁業従事者の損耗漁具や釣り糸、浮きの投棄等が海洋汚染の悪化を促す要因なので気をつけましょう。
美しい水の惑星「地球」全ての生物に優しい環境にしましょう!

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