洞源院寺報なむ

第38号(令和3年5月1日発行)

おねはん その一 「臨終に当って」

住職 小野﨑秀通

「人の生を受くるは難く、やがて死すべき命、今あるは有難し」 人は誕生すると両親を始め、周囲の人々から祝福を受け、餅を背負わせて一生食べることに困らぬようにと一歳の誕生日を祝い、人生の節目毎に祝福されながら成長し、発展を遂げ、多くの人々と出会いながら終焉を迎えて行きます。その終焉を迎えるときに、逝く人も送る人も互いに感謝のできるお別れが大切です。それが成仏への第一歩です。中には道半ばにして突然のお別れに遭わなければならない不幸もあります。いずれしても、臨終に当たって、これまでの人生で祝福されてきた以上に、人生の締めくくりとして故人を賞賛し、感謝の思いを込めて丁寧に見送ることが大切です。

以前に『おねはん』という冊子をお檀家に配布させて頂きました。お釈迦様のご入滅の様子を伝え、それに基づいて亡き人を送る手立てを紹介し、葬送の意義を説いたものです。

最近はテレビ、新聞等で葬儀や納骨などについて様々に報じられています。情報が錯綜して何を信じて良いのか分からないという方もおります。

今は、病院で亡くなる方がほとんどですから、最初に葬儀屋へ連絡し、搬送をお願いする手順になっていますが、できれば病院からでも菩提寺に一報して頂けるとアドバイスすることができ、慌てることなく葬儀までの準備が安心してできます。

自宅や葬祭会館へご遺体が搬送されたら、先ず「枕飾り(前机に香炉・灯明・花・団子)」と「末期の水」を用意します。枕飾りは葬儀屋が準備してくれますが、できれば団子は身内の者が作ると故人の供養になるので良いでしょう。 準備が整ったなら集まっている人々で末期の水を口に含めてあげ、菩提寺に知らせて「枕経」を挙げて貰います。末期の水は身体から水分が抜けて渇きを感じるために口元を湿らせ潤って下さいという労りの気持ちで、お釈迦様が死を目前に水が欲しいと所望されたことに由来します。

お釈迦様は八十歳まで伝道の旅を続け、クシナガラの町で食事後、腹痛を起し、町外れの沙羅双樹の林の下に北枕にして横になられ、数日間休まれていました。そこにお弟子や信者等、心配し集って来た方々に最後の説法をなされました。それが『遺教経(ゆいきょうぎょう)』として伝えられ、枕経の折にお唱えしています。遺教経には「受戒と八大人覚」という心安らかに覚れる成仏への教えが説かれています。この教えに基づいて、亡き人を仏弟子として仏の世界に旅立てるようにと願い枕経をお勤め致します。(続く)

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みちのく巡礼札所めぐり(一日研修旅行)

主催・洞源院護持会
東日本大震災に遭った地域の祈りの場として創設された札所のうち昨年は、第十番長観寺(十三浜)第七番寶性院(柳津虚空蔵)、第八番弥勒寺(中田町)、第九番松景院(小牛田)、第十八番長音寺(野蒜)、第十七番願成寺(矢本)を巡拝しました。
今年も札所巡りを七月七日(水)に実施致します。

洞源院出発八時
予定コース
第十九番大仰寺 (富山観音)
第二十番瑞巌寺 (松島)
第二十一番東禅寺(名取)
第二十二番昌林寺(仙台)
第二十四番愚鈍院(仙台)

◎ご参加申込み下さい。

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震災から十年 「節目ではあるが区切りではない」

編集委員 山田信次

平成二十三年の夏以降、洞源院に足を運ぶ日が多くなったような気がしています。

在職中、同じ志を持った県内の消防仲間や県消防学校の教官時代の教え子達、石巻地区広域管内の同僚や消防団員、高校の恩師や同級生、友人知人そして親戚の悲報に、気仙沼市から名取市迄、七十を越える殉難者に無念のお別れをしてきました。 多くの遺族が仮設住宅や他の市町に転居され、再訪することが困難になり、太平洋を眼下に望む洞源院のご本尊様に参拝することで、自分の思いが浄土に届くのではなかろうかと願ってのお寺参りなのです。

十年という月日が、長いと感じるか否かは、人それぞれであり、他人には計り知れないことでしょう。

あれから十年も帰りを待っている方々もいます。

諦めたくない。諦めても諦めきれない。じくじたる思いで日々を過ごしている方もいます。

その方々にとっては、節目であっても、けして区切りではないはずです。

令和三年三月十一日午後二時六十人程の遺族や縁者が洞源院に集まり、大震災慰霊供養が執り行われました。

百十二名の御霊が読み上げられる間、みなさんが手を合わせ一心にご冥福をお祈りしていましたが、亡き人の名前が読み上げられると、そっと涙をぬぐっている人、或いは、よちよち歩きのお子さんの屈託のない笑い声が参列者の笑みを誘います。

そして、この日、コロナ禍の為、出席を遠慮された歌手の南こうせつ氏から、たくさんの白いカーネションが贈られ、参列者に手渡されました。

また、静岡県の仏師鈴木誠司氏からは、今年も木彫りのお地蔵様が届けられ、希望者にお分けいただきました。

他にも全国各地から、この日の為にお供物が届きました。

さらに、十九日には山形県南陽市、高畠町、小国町から、写経ボランティア「なんよう」の代表・松田洋子さん他五名が、二百三名の方々から二百二十巻の写経を託され、納経に来られました。

 願意には、震災犠牲者のご冥福と、被災地に新しい幸せの花が一つ、また一つと咲き続けることを願ってと記されていました。

中には、まだ筆を使えないからと、お孫さんが鉛筆で書かれた写経もありました。

遠くに住まいながらも、この様に思いを寄せて下さる多くの方々がおられることに、頭が下がります。

「忘れられない人、忘れられない日、忘れてはならない災害」この悲しみを教訓として、子々孫々に伝え、同じ悲しみ、同じ苦しみをさせないことが、生かされている私達の役目であるとさらに強く感じた日でした。

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【鶴瓶の家族に乾杯】で放映されました。

三月十五日

読者の広場

断捨離

去る二月十三日、洞源院本堂でお涅槃会が開催されました。ご案内のとおり、お釈迦様の御命日法要です。

和尚様からお釈迦様が亡くなられた時の事など、いろいろと有り難いお話をお聞きした後、遺品整理などを専門にされている「(株)かしょのゆめ」の木村さんのお話を拝聴しました。

その中で「断捨離」の言葉が胸に残り、それが今の私に一番必要なことなのだと改めて考えさせられました。

それでも、なかなかやり始めることができません。

クローゼットの扉を開けると〝あゝこれも要らない、あれも要らない〟と一応手に取ってハンガーから外してみるのですが一枚一枚それぞれに想いがあって〝これはあの時にこのようにして求めたんだよなぁ‥〟とか〝あれはこうだったのに‥〟と想いがよぎり、再びハンガーに掛けてしまうのです。

いつか何かあったら着るんじゃないかもと考えてしまうのが私の性分なのです。

それでも、十年前の津波では随分と整理?されたはずなのですが…。

これからは意を決して、一度ハンガーから外した物は整理袋に入れて、絶対に取り出さないと心に決めようと思います。
「断捨離」とは、気持ちの問題でもあるんじゃないかなぁ…。
いざ実行しようとすると、本当に難しいことですね。

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暮らしの中の仏教語 言語道断

村崎 四季折々

「あの人のとった態度は言語道断だ」と、現在は「とんでもないこと、もってのほか」という意味で使われているのが一般的です。

言語道断を広辞苑オンラインで検索すると
①言語で説明する道の絶えた意
②仏教の奥深い真理はことばで説明することができないこと
③口では到底言い表せないこと
④とんでもないこと、もってのほか
と出てきます。

本来、言語道断とは、言語で表現する道を断たれることですから言語で表現できぬものを指す言葉です。言葉で表現できないもの=真理すなわち仏教でいう「悟り」のことです。あまりに立派で言葉で表現できないほどだということなのでしょう。

私たちは、言葉に様々な思いを寄せ、イメージを膨らませ、価値判断を付加しています。そして言葉が一人歩きし、迷いをもたらす根源となるのです。その言語を断つことで迷いをなくし、悟りに通ずるということなのでしょう。

悟りは、文字、言説で伝えることができず、心から心へ伝えていくものとする「不立文字(ふりゅうもんじ)」の立場をとる道元禅師も、その一方で「言語道断とは一切の言語である」とも言っています。

言葉は、時代とともに使い方が変わってきますが、良い意味で使っていきたいものです。

どこかの国の副総理が「マスクいつまでつけるの?」と記者に逆質問していましたが、言語道断!このように使うのではなく、言語を大切に使うこと、人の言葉を聞く時はその人が何を伝えたいのか、よく思いはかること、そうすれば、「言語道断の世界」に達するのではないでしょうか。

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活動報告(1月~4月)

  • 三朝祈祷 元日~3日
  • 大般若祈祷会 1月18日
  • お涅槃会・仏の教えを聞く会 2月13日
  • 東日本大震災合同慰霊供養 3月11日
  • 春彼岸供養 3月17日~20日
  • 永代供養・愛々動物供養 3月20日
  • 写経・写仏会 2月7日・3月7日・4月4日

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行事予定(5月~8月)

  • 花まつり ひがし・たから保育園児 5月19日(水)10時~
  • 花まつり・護持会役員総会5月22日(土) 13時半~
  • 護持会研修旅行みちのく巡礼 7月7日(水) 8時出発
  • 写経・写仏会
    5月9日(日)13時半~
    6月6日(日)13時半~
    7月4日(日)13時半~
  • 清掃奉仕 8月1日(日)8時半~
  • お施餓鬼 8月8日(日)11時~
  • お盆供養 8月13日(金)~15日(日)

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交通栄誉章受章

洞源院責任役員 仁杉圓一郎氏

交通安全活動や安全運転に努めたとして、交通栄誉章「緑十字銀章」を警察庁長官並びに全日本交通安全協会長より受章しました。
また、仁杉より子様も内助の功で表彰されました。








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新役員紹介

吉野八重子氏 栄田地区担当

丹野信郎氏 念仏壇旭ヶ浦担当

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御堂建立進捗状況

令和元年八月以降、御堂建立の趣意書を配布させて頂き、檀信徒皆様にはご理解とご協力をお願いし、五カ年計画で進めております。

寄付勧募につきましては、予算額七千万円のところ、現時点で、お陰様でその三分の一程までこぎ着けました。

建設材料の原木は、牡鹿半島等の高台移転用地から伐採されたものを、住職が森林組合から譲り受けたもので、現在、製材を依頼しているところです。

設計と建設は、山門を建設した社寺設計と木匠という会社に相談しているところです。
御堂には、観世音菩薩、不動明王、諸仏尊を御遷座奉安し、檀信徒皆様の安寧とご先祖様への回向、そして大震災犠牲者の鎮魂を永久に冀(こいねが)うための建立です。

今後、なお一層のご協力をお願い致します。

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洞源院でフード・ドライブ活動 

編集長 米谷行弘

日本の食糧供給率は、40%を下回る状況の中、安全に食べられるにも拘わらず廃棄処分されている食べ物が500万トン~900万トン以上になる現状です。

一方国内では、生活に困窮している人が数十万人いるとも言われています。

フード・ドライブとは、食品ロスの削減を図り、生活困窮者の支援としてやむなく廃棄されてしまう食品を無償で提供を受け、それを支援を必要とする福祉関係の施設・団体等にお届けし、食べられる食品を有効に活用して頂く活動です。

1960年代に米国で始まり、日本でも十年前に東京での活動をはじめに、全国に活動の輪が広がっています。

洞源院では、この趣旨に賛同し、春彼岸の参詣の際に缶詰・乾物・調味料などをご持参して頂くようお檀家の皆様に声がけ運動を行ったところ、沢山の食品が寄せられました。

早速、NPOフード・バンク「あがいん」へお届けしました。

今後も継続してフード・ドライブ活動を行いますので、ご協力をお願い致します。

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