洞源院寺報なむ

第34号(令和2年1月1日発行)

人生に『修証義』をその9

住職 小野﨑秀通

三者利行(みつにはりぎょう)

利行とは利他行のことです。自分は損をしてでも他人の利益となるようにと考えがちですが、道元禅師は「普く自他を利するなり」と言っています。「情けは人のためならず」という言葉は、よく耳にします。人のために何かお役に立つような事をすると、やがては自分にとってよい報いがあるよ、という意味です。しかし、これは一般的な訳です。仏教的に訳しますと、人のために何かお役に立つようなことをする、その時、同時にそれは「自分自身の心のためになっている」といえるのです。

経典には「自利利他悉く円満」という表現もあります。

自利利他は、自らの覚りのために修行すること、他人の救いのために尽くすこと、これを共に完成させて行くことと説かれています。道元禅師は、具体的な自利のあることも例に挙げて、利他を勧めて下さっています。

『修証義』では中国唐時代の『蒙求』という子供向けの書物の例え話を挙げ、楊宝という人が傷ついた雀を助けてやったら、やがて高官に就くと約束されその通りになった話や、孔愉という人は捕まっていた亀を助け川に放ってやったら、後に知事になり、その印鑑の取っ手が亀の姿に現れたという話をしています。これはけっして後の報いを求めたわけではなく、ひたすら病雀、窮亀を助けたのですが、後に自利を得たことの例え話として説かれています。

日本昔話では、舌切り雀や浦島太郎の話になっていますが、元は中国の『蒙求』の話が伝えられたものです。

愚人は利他を先にすると自分は損をしてしまうと思いがちですが、そうではないよ、と示してくださっていることは、我ら愚人にとって、ホッとするところではないでしょうか。

恩着せがましく、他人に親切にするのならば、しない方がましでしょう。とにかく、計らい心なく、困っている人を見たら助けましょう、それが菩薩の道なのだと教えてくれています。

内乱が続くアフガニスタンで殺害された医師の中村哲氏は、三十年前、ハンセン病医療のために活動していましたが、貧困者が多く、結果、紛争の温床となっていることを知り「不毛の地を蘇えらせなければいつまでも平和な社会は来ない、飢えと渇きは薬では治せない」と。

そして「農業ができて家族が食べていければ、結果として平和になる・・・平和は結果でしかない」として緑化事業などに取り組んできました。

医療施設の拡充や灌漑事業に尽力されたお姿は、まさに命を懸けた利行の実践者です。

中村哲菩薩は、アフガニスタンの人々から英雄と称され、彼等の心の支えとなっていることでしょう。

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大般若祈祷会のご案内 

1月18日(土)
設斉(食事) 10時半~11時20分
獅子舞 11時20分~12時
祈祷法要 12時半~13時半

開創958年を迎えたご本尊観世音菩薩の初縁日に、守り本尊と八大竜王神をご開帳し、ご祈祷がなされます。

家内安全・闘病平癒・身体壮健・子孫長久・家業成就・家門繁栄・除厄招福・商売繁盛・工事安全・交通安全・海上安全・漁業豊漁・合格祈願・学業成就・良縁結成・無事息災・海産豊穣・家庭円満・安産祈願・福寿長寿・心願成就
それぞれ願意を選び申込書に記入し、受付にご提出ください。
お檀家以外の方でも受け付けていますので、ご遠慮なくお申込みいただき、お誘い合わせお参り下さい。
お待ちしています。

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読者の広場

牡鹿郡の由来 海辺山人

幼い頃じいさんから渡波に伝わる民話をよく聞かせてもらいました。
その中の一つに牡鹿郡の名の起こりの伝説「牡鹿の松」がありました。(以下渡波町史参照)
昔、根岸で秋になると澄みきった月夜の空気をふるわせて大柵山(おおすがらみやま)の方から妻を呼ぶ牡鹿の声が聞こえてきたそうです。
すると立石山の方から、これに応えて牝鹿の鳴き声が聞こえ、相鳴き交わした牡鹿と牝鹿の逢い引きの場所は、現在の鹿妻で、地元の人は「あいのしょうじ」といったそうです。
牡鹿は大柵山下の月光山善祥寺によく姿を現わし、住職は殊の外この鹿を愛でました。 ところが或る日、狩自慢の若い男が牝鹿を捕って自慢の様子でしたが、その夜からは、牡鹿が立石山にむかって夜をこめて泣き続けても、牝鹿の応ずる声がなくなりました。 夜毎に大柵山から終夜妻を恋う牡鹿の狂ったような悲しい鳴き声が里の人を悲しませるようになり、牡鹿の声は夜ごとに細り、ついには途絶えてしまいました。 里の人は善祥寺の住職と共に牝鹿の骨と一緒に牡鹿を手厚く葬り、七日後に二本の松を植えました。 その松は、時と共に大木に育ちましたが、残念な事に大東亜戦争末期に松根油採取のため、他の松と一緒に伐採されてしまい、今はその面影はなくなり、不動明王を祀るお社があるだけです。 牡鹿郡の名は、この物語から生まれ、牡鹿の里を鹿松、牝鹿の里を鹿妻と呼んだと伝えられておりますが、それを伝承するものは地名となり残されているだけでした。

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自動車遍路 芳賀不二男

十一月の中旬から下旬にかけて、四国八十八ヶ所を巡ってきました。 ご存じのとおり、弘法大師・空海がご修行された霊跡です。 全行程約千四百粁、歩きの場合は、健脚で約一か月半、通常は、二か月ほどを要するとのこと。車では約二週間必要とします。 昨年三月に、徳島県と高知県の三十九札所は終えており、今回は、愛媛県、香川県の四十九札所を礼拝する旅でした。 もちろん、自動車利用です。歩き遍路には、邪道と思われているに違いありません。 石巻から四国までは、気力・体力を温存するために、仙台と名古屋間はフェリーを利用し、その後、神戸淡路鳴門自動車道を通り四国入りした。 ほとんどの札所には駐車場が併設されており、愛車のナビに札所の電話番号を打ち込むと、ピンポイントで辿り着くことができるのでまず。 装束は、全身を、白ずくめでまとうのが正式ですが、簡略式な装束でご勘弁願い、背中に「南無大師遍照金剛」と御宝号が書かれた白衣を洋服の上に着て輪袈裟を首に掛けます。 右手に金剛杖、左手に数珠を持ち、腰には持鈴を、肩から頭陀袋をぶら下げます。頭陀袋には、ロウソク、線香、納札(おさめふだ)など小物類を入れておきます。 札所での礼拝、勤行次第は作法に従って行います。 第八十八番札所大窪寺で結願( けちがん・八十八か寺すべての礼拝を終えること)。 お礼参りとして、第一番札所霊山寺に再び参拝し、さらに、いまなお、弘法大師が衆生の安寧を願い救い続けているとされている高野山奥之院の御廟を参詣。 十一月上旬、母の七回忌の追善供養をした。今は、阿閦(あしゅく)如来の下で修行していることでしょう。 仏教徒は、亡くなるとお葬式で出家得度し、巡礼修行の旅に送りだされますが、遍路は、十三仏をご本尊とする札所を生前に巡礼修行しているといえます。

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大般若祈祷札

洞源院では大晦日の夜十時半から、旧祈祷札、お守り、供養塔婆、新亡位牌、旧位牌等のお焚き上げ供養を勤めます。同時に参詣の方々の煩悩、厄を除夜の鐘を突き祓い落としていただきます。 零時の改歳と共に淨心となった参詣者の新春祈祷会が厳修されます。このお勤めは大般若祈祷札を奉安し、祈祷太鼓で大般若理趣分というお経を転読して三ヶ日厳修されますので、三朝祈祷と呼ばれ、その三朝祈祷のお札が正月にお配りされている「大般若祈祷札」です。 大般若経を転読してのご祈祷は、その法力のご利益、功徳は二千年来語り継がれてきました。特に唐時代の玄奘三蔵法師が十六年間、艱難辛苦の思いでインドに渡り、多くの経典を持ち帰り翻訳しています。その苦難を救ってくれたのが、大般若経であったということです。 それ以来、特に祈祷の経典とされ、無病息災や五穀豊穣など、幸せで平穏な生活を祈願するようになりました。

大般若祈祷札の祀り方

祀る場所について尋ねられることがありますが、本来は玄関の内柱の目の高さより上に貼り、邪なる事が家に入らぬようにと願うものです。 しかし、現在は住宅事情も変わりましたので、仏壇内の内側に貼り、仏力、祖力をお借りして一年の息災をご祈念して下さい。

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八大龍王神のお札

一月十八日の初観音の日に、九百五十九年を迎える洞源院の守り本尊のご縁日に「山門大般若祈祷会」が厳修されます。その際に「八大竜王神のお札」がお授けされます。

江戸時代、千石船の海上安全を祈願することが起源ですが、八大竜王神の威神力をいただき、家内安全、商売繁盛、交通安全等全てのご加護をいただけるようにと祈祷されたお札です。この尊い龍神札は当院以外にはありません。

仏壇内の側面に貼るか、無仏の方は神棚にお祀りして下さい。




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御堂建設について

去る7月21日、護持会役員会の席上、御堂建設趣意書の作成、仮図面の依頼、凡その予算、勧募方法等が話合われ、建設委員会が発足しました。

10月26日の委員会で、予算額7,000万円の勧募方法等が話合われました。

勧募に当たって、寄付台帳に協力寄付金を一世帯の見当額を記帳して頂くことになりました。その折に、五年以内で分割或は一括の希望をお尋ねする事となり、郵送依頼の他は、各役員担当にお願いをしているところです。
なお、既に寄進頂いている方々もおります。

洞源院の檀信徒護持会協力者数は六百軒ほどですので、皆様のお力添えで実現出来ますよう、応分のご協力をお願い申し上げます。
振込みについては、ゆうちょ銀行の通帳を作りましたので、左記の名義宛てにお願いします。

洞源院御堂建設委員会
代表者 岩崎義一様 
記号 18180
番号 45787581

郵便振込み票はこれまでと同じ「02220-5-166」に「御堂建設費寄付」としてご送付下さいますようお願い致します。



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活動報告(1月~4月)

  • 清掃奉仕 洞源院内外清掃 8月4日
  • 山門施餓鬼会 8月8日
  • お盆供養 8月13日~15日
  • 保育園児お泊り会 8月23日~24日
  • 写経会 9月1日
  • 十三教区梅花講講習(洞源院) 9月17日
  • 敬老の集い 9月21日
  • 永代供養・愛々動物供養 9月23日
  • 写経会 10月6日
  • 寺子屋寄席 10月19日
  • 写経会 11月10日
  • 保育園児焼き芋会 11月18日
  • 東北大留学生日本文化講座 11月30日
  • 清掃奉仕 洞源院内外清掃 12月8日
  • 成道会 12月8日
  • お焚上げ・除夜の鐘 12月31日

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行事予定(5月~8月)

  • 三朝祈祷 元日(水)~3日(金)
  • 大般若祈祷会 1月18日(土)10時半~
  • お涅槃会・仏の教えを聞く会 大谷哲範の昭和歌謡ショー 2月15日(土)午後1時半
  • 東日本大震災合同慰霊供養 3月11日(水)午後2時~
  • 春彼岸供養
    3月17日(火)9時・11時・午後1時
    3月18日(水)9時・11時
    3月19日(木)9時・11時
    3月20日(金)9時・11時
  • 永代供養・愛々動物供養 3月20日(金)午後1時半
  • 花まつり・仏の教えを聞く会 4月18日(土)午後2時~

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永代供養の紹介

寿陵永代供養墓が造られ二十年になります。
後継者がいなくなり、お墓を建立した方でも、墓終いして永代供養に移す方が出ています。
夫婦墓、個人墓、合祀墓を選び納骨できます。
どなたでも納骨可能ですのでご相談下さい。
夫婦墓については、造成するため、お待ち頂いています。

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悼む

岩崎民一さん(享年八十七歳)
小竹地区担当
永年護持会副会長としてご尽力頂きました。
後藤和男さん(享年七十一歳)
念仏壇・新成地区担当
「なむ」編集長ほか、お寺の行事等多岐に渡り活躍して頂きました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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編集後記

昨年四月三十日、多忙なる国事行為に寄せる身体的な衰えを考慮し、国民の安寧と幸せを祈り乍ら退位された明仁上皇陛下に代り、五月一日に即位された徳仁天皇が初めて新年を迎えられました。
国民が憂うることのない令和の幕開けを願っていると思います。

秋の台風十九号は「西日本豪雨」を超え死者九十三名・不明者七十一名が犠牲になられました。宮城県では、丸森、大郷で河川が氾濫し、石巻にも床下・床上浸水等で甚大な被害が及びました。

被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

「なむ」発行にあたり御多忙中にも拘わらずご意見や原稿を頂き有難うございました。

創刊以来編集を担当して頂いていた後藤さんの功績は多大でした。その遺志を継ぎ、編集部一同これからも楽しく興味のある「なむ」を目指して行きます。これまでと同様に皆様の御協力をお願い申し上げます。

厳寒の折お身体に十分注意してお過ごし下さい。

新編集長 米谷行弘

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