洞源院寺報なむ

第31号(平成31年1月1日発行)

人生に『修証義』をその6

住職 小野﨑秀通

発願利生(ほつがんりしょう)

利生とは衆生を利すると言うことで、「発願利生」とは、他者を利益しようと願を起すことです。

『修証義』は修行と証契(さとり)の意義を説く事で、第二章~三章が証契で、第四章~五章が修行の内容となっています。

冒頭の「菩提心を発すというは」ただ覚りを求める心だけではなく、覚りを求めて他の人を救おうとする心です。三章までに、懺悔することや、戒を守ること、仏法僧の三宝に帰依することによって覚りの境涯を深め信心する者の生き方を学んできました。

そこで人生の意義深さ命の尊さを学び、私の命は個人の持ち物ではなく、天地いっぱいの命であることを覚らせてくれた教えでした。その上で、いま「己れ未だ渡らざる前に一切衆生を渡さんと発願」して人生の修行をいたしましょうと勧められています。

自分の覚りはさておいて、まず他の人を救うことが菩薩道であり、その実践が自己を忘れて尽くす行為の菩提心を発すことです。

自分がなんとか救われそうだと思えばこそ、他の人もこの道で救われるよと勧めることが出来るのではないでしょうか。自分だけが救われればそれでよいという心では、逆に救われることは出来ないと諭して下さっていると言えます。そうして一度「己れ未だ渡らざる前に一切衆生を渡さんと発願」したからには、生々世々、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のどの六道に生まれ変わろうとも、菩提心(覚りを求める心)は引き継がれて消えないのであると。だから一刻も早く菩提心に目覚める善行に努めなさいと説かれるのです。

言うまでもなく、他の人を救いたいと思っていても、相手がそれを望む者でなければなりません。更に他の人を救いたいと願うならば、自分自身が信頼されなければ、説得力はありません。

仏の教えを学ぶことは、この命が救われることだと心底思えるには、あの人の言うことなら信じられるとか、あの人のようになりたいという思いがなければ耳を貸してはもらえないことです。

自分は覚りの岸まで辿り着けなくとも、他の人には、仏道を学んで生きるこの道を、覚りの岸にまで歩んでいっていただきたいと願うのです。六道を輪廻転生し続けても、一度起したこの思いは消えないと、道元禅師が確約して下さっています。悩みの海に溺れかかっていたこの身を、救い上げて下さった菩提船に乗って、自分だけ救われようと思うのではなく、もし苦しんでいる他の人がいたら、共に乗り合うことを勧めたいものです。 お互いに助け助けられてこの老病死海を渡って参りましょう。

愚かなる我は仏にならずとも
衆生を渡す僧の身ならん
道元禅師

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大般若祈祷会のご案内

1月18日(金)
・設斉(食事) 10時半~11時15分
・チンドンみやび組 11時15分~12時
・祈祷法要 12時半~13時半
開創958年を迎えたご本尊観世音菩薩の初縁日に、守り本尊と八大竜王神をご開帳しご祈祷がなされます。

家内安全・闘病平癒・身体壮健
子孫長久・家業成就・家門繁栄
除厄招福・商売繁盛・工事安全
交通安全・海上安全・漁業豊漁
合格祈願・学業成就・良縁結成
無事息災・海産豊穣・家庭円満
安産祈願・福寿長寿・心願成就


それぞれ願意を選び申込書に記入し、受付にご提出ください。
お檀家以外の方でも受け付けていますので、ご遠慮なさらずお申込みいただき、お誘い合わせお参り下さい。
お待ちしています。

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第二十六回寺子屋寄席

10月20日、第二十六回寺子屋寄席が昨年に引き続き、桂米福師匠をお招きして開催されました。今年は、これまでの夕方の開催を改め、日中帯の開催にしたところ90名を超える方々にお集まり頂きました。

一杯十六文の蕎麦を、蕎麦屋を騙して十五文で食べた男を見て、自分もやろうと間の抜けた男が翌日2時間も早く来てしまい八文もぼったくられた古典落語の定番「時蕎麦」、二席目は、絵師が旅館のふすまに描いた雀の絵に、その親が駕籠を描いたことに「駕籠を描かせた」(駕籠かきにさせた)と親不孝の無礼を省みる「抜け雀」を、休憩を挟んで巧みな噺と仕草を随所に盛り込んだ本場の落語を楽しんで頂きました。

落語終了後の恒例の「お楽しみ抽選会」は、用意した景品の他に、桂米福師匠のイラスト入りの「手ぬぐい」と「ティッシュケース」を用意して頂き、大いに盛り上がりました。

ご参加いただいた皆様、来年も、10月第2土曜日に、さらに楽しく面白い寺子屋寄席を予定いたしますので、お誘いの上、足をお運びください。

(ちえぶくろの会)





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保育園児のお寺参り

両保育園児は沢山の行事の中、三仏忌を始めお寺の行事に参加しています。
園児の健やかな人格形成を願い、み仏への崇敬の念をもつお参りは欠かせません。

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輝宝福祉会からのお知らせ

石巻ひがし保育園と石巻たから保育園では、保育士を募集しております。
知り合いの方で、保育士の資格をお持ちの方がおりましたらご紹介ください。

連絡先
石巻ひがし保育園 0225-90-4664
石巻たから保育園 0225-90-4990

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読者の広場

「初心忘るべからず」

大木 独活

昨年、洞源院で初めて「能」を見ることができました。

観世流とは?と興味を持ち、調べてみたら「初心忘るべからず」の言葉が室町時代に「能」を大成させた世阿弥の晩年の著書「花鏡(かきょう)」にあると知りました。これまでは「何かを始めた頃の初志、感動を忘れるな」という言葉だと覚えていましたが、少し違うようです。

そこには「是非とも初心忘るベからず・時々(じじ)の初心忘るベからず・老後の初心忘るベからず」とありました。
世阿弥は「始めた頃の気持ちや志」ではなく「修行を始めた頃の未熟さ、みっともなさを忘れず、それを糧にして精進しなさい」と説いているのです。
さらに、修行を重ね、若き日の未熟な状態から抜け出して、年相応の技術を駆使していく途上でも、初めて経験する行き詰まり感や挫折感など、その「時々の初心」を忘れずにいることによって、幅広い技、磨かれた技が身につき、向上することになると語っているのです。
そして最後に、老後にさえ、その熟達した者に相応しい技を学ぶ「老後の初心」があるもので、これまでに経験した「時々の初心」に立ち返ることが肝要で、それを忘れずに、限りない技の向上を目指しなさいと説いています。

「初心」は成長させるものであり、成長させてこその「初心」であると語っています。

初心者の頃の、稚拙な、みっともなさを思い出すことによって「あの時の惨めな思いを二度としたくない」と心に秘め、さらに熟成できるというのです。

さて、私も新年にあたり、初心を思い出し、己を奮い立たそうかと考えましたが、どう見ても惨めさが多すぎて、先に進めそうもありません。(苦笑)

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小川家の阿弥陀如来

小竹浜の小川家は江戸時代まで千石船の船主で、多い時には四十八艘も所有し、小竹の入り江だけでは入りきれず、折浜湾に碇泊させ、乗組み員は牡鹿半島一円から集まってきたという盛況ぶりでした。

千石船は米千石を積む船のことで、弁財船と呼ばれていた。

千石船は二十五反の帆の大きさだとされていますから、遠島甚句の「三十五反の帆巻き上げて行くよ仙台石巻・・・」の和船は千五百石ほどでしょうか。

米は伊達政宗(貞山)公が伊達米と称して江戸へ売り出したと言われています。それによって石巻港に米蔵が建ち並び、千石船での物資が盛んに往来し、それまで寒村だった石巻が繁栄するようになりました。その一例が瀬戸物屋の観慶丸でもあります。観慶丸の先祖も須田を名乗り佐須浜の出身でした。

小川家の繁栄ぶりを象徴する当時の墓が旧小竹浜小学校裏に建立されています。その大きさは六尺(約180センチ)以上もの大竿の石が立ち、先祖守りのため小川家の娘が出家し、先祖の菩提を供養したと伝えられます。そうした家に祀られていたのが身の丈一尺九寸五分(約60センチ)の阿弥陀仏です。当時は目映いばかりの金箔で、胎内までが金箔仕上げとなっており、金泥の経巻物が納められていたようです。

昭和28年小竹浜は大火に遭い、120軒ほどの集落の3分の2が焼け、小川家も焼失して逃げることとなった時、家財道具など何も持ち出すことが出来ず、先祖伝来の阿弥陀仏だけを背負って逃げたといいます。

さらには東日本大震災の大津波で沿岸部の集落は壊滅的な被害でしたが、小川家も流され瓦礫となり、潰れた家には阿弥陀仏が奇跡的に残され、台座や手が損失したものの、無事に助け出され、いま洞源院に奉納されています。三百年来の歴史ある仏像であり、災難から何度も助かりご利益ある尊像ですので、修理をし光背も作成して会館に奉安させていただいております。

釈迦牟尼仏は菩提樹の下で12月8日、暁の明星の輝く中で悟りを開いた唯一の歴史的人物ですが、阿弥陀仏は時間や空間を超越した全てのものを救う仏です。

『阿弥陀経』には、「なぜ阿弥陀仏と称するかと訪ねると、舎利弗が、この仏の光明は無量にして、十方の国を照らすに障礙となる所なし、また、この仏の寿命及びその人民の寿命は、無量無辺阿僧祇劫なり、故に阿弥陀と名づくと云うなり」と説かれています。

すなわち、計り知れない寿命を持つ無量寿命の仏と、計り知れない光明で照らし続ける無量光命の仏との二つの德性を兼ね備えたのが阿弥陀仏です。

さらに、『無量寿経』には、ある国の王子が出家して法蔵比丘と呼ばれ、難行苦行の末、深く思惟して四十八の誓願を立てられ、成就された暁には、阿弥陀仏となり、西方に極楽浄土を開き、迷っている人々の苦しみを救おうと誓い、現在も説法し続けていると説かれています。

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能楽

8月13日9時からの盂蘭盆法会の後、本堂において、観世流のシテ方八田達弥氏、笛方寺井宏明氏、太鼓方大川典良氏に「羽衣」を演じていただきました。厳かにして幽玄な舞は、見るものをして引き込まれる感動を覚えました。被災地復興公演で演じていただきましたが、六百五十年以上の伝統を持つ能楽のパワーに圧倒されました。

能楽はその昔、平安時代に中国から猿楽の基である雑芸が伝えられ、寺社の法会や神事の時、翁猿楽が演じられるようになり、室町時代に観阿弥・世阿弥親子が足利義満の後援を得て観世流を大成し、猿楽の地位を高めることに成功したとされています。

舞の「羽衣」は三保の松原で天女が衣を松に掛けていたのを漁師に取られ、舞を見せてくれたら返すと言われて舞う様子です。

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活動報告(8月~12月)

お盆の清掃奉仕
8月5日(日)
お盆供養
8月13日(月)~15日(水)
山門大施餓鬼会
8月17日(金)
石巻ひがし保育園お泊まり会
8月24日(金)~25日
本尊台座修理完成
9月11(火)
敬老の集い
9月22日(土)
永代供養・愛々動物供養
9月23日(日)
梅花講(宮城県奉詠大会)
10月4日(木)
寺子屋寄席
10月20日(土)
保育園焼き芋会
11月8日(木)
阿弥陀仏修理
10月30日(火)
保育園児成道会
12月7日(金)
東北大学留学生来院
12月8日(土)
年末清掃奉仕
12月9日(日)
成道会
護持会役員会
12月16日(日)
お焚き上げ・除夜の鐘
12月31日(月)

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行事予定(1月~4月)

三朝祈祷
元日(火)~3日(木)
大般若祈祷会
1月18日(金)10時半~
お涅槃会
2月16日(土)午後1時半~
東日本大震災合同供養
3月11日(月)午後2時~
春彼岸供養
3月18日(月)~21日(木)
永代供養・愛々動物供養
3月21日(木)
花まつり・仏の教えを聞く会
4月14日(日)午後2時~

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宮城県宗務所長退任 挨拶

平成26年12月11日より4年間の任期を無事大過なく勤める事ができしました。この間、檀信徒皆様にはご不便をお掛けする事もあったかと存じますが、ご理解ご協力頂き有難うございます。

県内曹洞宗寺院463ケ寺の総括として行政、布教、梅花講、寺族会、婦人会、青年会等の行事、会議に関わり、県内寺院慶弔会への参加など多忙な4年間でした。

この間、あらゆる宗教団体が加盟する宮城県宗教法人連絡協議会の担当となり、会長という重責を担う事となりました。

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新役員紹介

菅原 隆弘氏 東松島市矢本在住
鈴木 春雄氏 石巻市水明南在住

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悼む

阿部 美代子さん(洞源院梅花講世話役)
詠讃歌のみならず、洞源院の行事に欠かさず出席していただきました。

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転居先情報を求めています

仮設住宅等から転居された方で、まだお寺に住所変更を届けていない方がいます。ご存知の方は情報を提供して下さい。

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墓地について

寺墓地の所有者の音信が数年不通となっている方があります。次回の会報で公表し官報と致しますので、ご了承下さい。墓地については早めにご相談ください。

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編集後記

今年は11月になっても暖かい日が続き、日本各地の山では紅葉が例年に比べると遅れ、11月も末にかけて初雪の便りが届きました。石巻は太平洋側で、もともと雪は少ないのですが、寒くなってきました。各浜では海苔や牡蠣が最盛期を迎えて活気づいています。

「なむ」31号発行にあたり広報部および檀家の皆様にはお忙しい中、編集にご協力いただきまして誠にありがとうございます。

本年もお寺の様子や情報発信はもちろんのこと、皆様のご意見やご希望などを取り入れていきたいと思っています。本年もよろしくお願い致します。

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