洞源院寺報なむ

第24号(平成28年8月1日発行)

供養について

住職 小野﨑秀通

葬儀を終えたあと、故人に施される供養は、すべて追善供養となります。追善とは善い行いをした功徳を故人に廻らすことで、故人の冥福を祈る行いを積み重ねていくこと、四十九日までの中陰、年忌法要、お盆、お彼岸、お施餓鬼、それから仏壇の前で手を合わせ毎日お参りするのも、すべて追善供養となります。

ところで、「供養」とは何でしょうか。冥福を祈ること、供物を施すこと、お経を唱えること。心に故人を想うことはすべて供養であるといえますが、これは「供給資養」を略して「供養」と呼んでいます。崇敬の念をもって諸仏・諸菩薩や三宝及び父母・先祖様に供給し、資け養うということです。ですから単に物を供えればよいというのではなく、尊敬の念をもって供養させていただく心が大切です。法事など仏事に臨むとき、正装し威儀を正して参列することも、尊敬する気持ちを表わします。

仏教ではこうした供養には三つの種類があるとしています。
一、「利(り)供養」、故人のために線香や花、ロウソク、お水やお膳などをお供えすることです。人から何かをいただいたとき、先ず故人の前にお供えをすることができれば、それは故人への温かな利供養となります。
二、「敬(きょう)供養」、お経を唱え、仏様、先祖様を敬い、その教えを学ぶことです。故人の成仏を願って毎日仏壇の前でお経を唱えることや法事などで僧侶と共に読経することも敬供養です。
三、「行(ぎょう)供養」、仏道修行をすることです。自堕落せず、故人に安心していただけるような正しい暮らしをおくることです。そして他人を気遣う心をもって、自らもまたお釈迦様に習った生き方を目指す道を歩んでゆく。お釈迦様が清らかに安らかに歩まれた如くに、日々を暮らすことで、故人の安堵と励ましにつなげる行いを行供養というのです。

供養については大切な心構えがあります。それは「三輪清浄」ということです。三輪は施す人、受ける人、施す物の三者が執着を離れて清浄であり、互いに円環し合うということです。つまりあげた人も、あげた物も、受ける人も、欲心を離れたきれいな心であることが大切です。 残された方々が幸せに生きていることは、故人にとっての幸せでもあります。故人に対して何かを施すだけが供養ではなく、自分自身の生き方もまた、故人への大切な真心の供養になることを忘れないで下さい。

お盆供養のご案内

本年もお盆の供養は、お寺でお勤めいたします。
8月13日(土)
午前の部 7時・9時・11時
午後の部 1時・5時

8月14日(日)・15日(月)
午前の部のみ 7時・9時・11時
*緑色の供養申込み用紙にご記入の上ご持参下さい。

山門大施餓鬼のご案内

各家先祖精霊供養です。お盆供養とは別にご参加下さい。
8月17日(水)
10時30分~ 設斉(食事供養)
11時30分~ モンゴル音楽演奏
12時30分~ 大施餓鬼会法要
*白色の申込用紙にご記入の上ご持参下さい。

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東日本大震災 慰霊行脚「祈りの道」

被災物故者の供養、復興と身心の安寧を祈る東日本大震災慰霊行脚「祈りの道」は、福島県南相馬市の同慶寺と岩手県宮古市の常安寺をそれぞれ出発地として、5月6日から5月11日まで6日間にわたり、沿岸各地の慰霊碑や寺院で慰霊法要を行いながら洞源院を到着地として行われました。

東北六県の青年僧侶延べ100名が、大本山永平寺、大本山總持寺の両禅師様が揮毫(きごう)したお札と恐山の灯火、善寶寺(ぜんほうじ)の浄水を奉持して被災地を行脚しました。各地の道端では、地元の皆さまがお祈りする姿が見られたそうです。

最終日の11日は、大潮の日と重なり風雨も強かったため、志津川港から牡鹿半島を巡っての海上慰霊は中止になりましたが、塩釜港から松島湾十か所での海上慰霊は、予定通り行なわれ渡波港に到着しました。

洞源院本堂に到着した慰霊行脚一行と東北六県から集まった僧侶70名による「慰霊法要」「祈願法要」が執り行われ、14時46分、参加者全員で犠牲になった方々に黙祷を捧げて冥福をお祈りいたしました。

「祈りの道」は、曹洞宗東北管区教化センター設立40周年記念事業として企画されましたが、2011年の大震災以降、洞源院で毎月行われている「浜供養」がこの事業を計画する引き金になったということです。

「祈りの道」を通して感じたこと

畠山 貴晶

震災後5年以上が経ち、人それぞれの思いに違いはあると思います。私は今でもあの時のこと、あの時の思いは忘れられません。

渡波の実家では両親と祖母が住んでおり豆腐の製造と八百屋を営んでおりました。仕事中に地震が起こり、事務所に戻る車の中で津波警報を聞き、何度も実家に電話しても繋がらず、あの時電話が通じていればと考える時もあります。

父の作る豆腐や油揚げには、ファンも多く私もその一人です。自分の娘の運動会が来るたびに朝早くから油揚げを作り、そしておいなりを作っていた事、一度も孫の運動会に参加できなかったと思い返し、あのおいなりを一緒に食べたかったと胸を詰まらせています。生前、両親には何も親孝行ができていない自分が悔しく、せめてお墓参りはと月命日にはお参りをしています。

「祈りの道」では被災地を海上からや行脚して犠牲者の方への供養はもちろんのこと、自分たちも心救われる思いがありました。

本堂で行われた大勢のお坊さんによる迫力ある般若心経の時は「お父さん、お母さん、おばあさん、うぢらいのために供養してもらってるよ」と心の中で呟いていると自然に涙が溢れてきました。

多くの方に供養していただき大変感謝しております。これからも亡くなった方々やご先祖様を敬い、そして感謝し生活していきたいと思います。

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みちのく巡礼札所

東日本大震災の東北三県の被災地で犠牲者を慰霊する「みちのく巡礼祈りの場」のうち、宮城県内の札所となる二十一寺院が決まり、山元町、徳本寺の中浜墓地跡で巡礼開始の祈りが奉げられました。

みちのく巡礼は被災地に祈りの場を設け、震災の教訓を後世に伝えるのが狙いで洞源院も札所となっております。
詳細はお寺にお尋ね下さい。


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青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)

庚申(こうしん)塔といわれ、境内庫裡向かいに祀られています。元は佐須浜墓地入り口に祀られていましたが、墓地移転に伴い当院に移設されました。

その昔、どこの地域でも庚申信仰が盛んでした。庚申(かのえさる)は干支(えと)で、今年は丙申(ひのえさる)、60年に一度回ってきます。庚も申も干支では陽の金で同じ気が重なり、年・日は金気が天地に充満して、人心が冷酷になり易いとされました。

庚申信仰は道教の説く「三尸(さんし)の虫」が人体にいると考え、その三尸は形がなく霊魂や鬼神で、その人の行いを常に監視して、庚申の夜ごとに天に昇り、その人の犯した罪を天帝に報告し、寿命を縮めて早く死に至らすとされます。しかし、庚申の夜寝ずにいて三尸が体から出ることが出来ないようにすれば天帝に罪を報告出来なくなり人は長生きできる。つまり、庚申の夜は寝ないで起きていれば良い事になります。

日本では、八世紀頃「守庚申」と呼ばれる行事が始まっていました。庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行いです。平安時代の貴族社会では、囲碁・詩歌・管弦の遊びを催す「庚申御遊(ぎょゆう)」と称する宴が行われていました。やがて「守庚申」は「庚申待(まち)」と名を変え、一般の夜待と同じように会食談義を行って徹夜する風習として伝わりました。 庚申信仰は神仏習合の流れの中で、供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとするものです。 庚申の本尊は青面金剛明王で、インドのヴィシュヌ神の化身ともされ、神体は青く、顔は忿怒で手は六臂、怒髪が上向き、手には弓、宝剣、棒、法輪、羂索などを持って、足元には邪鬼を踏みつけ、病魔、悪気、風雷、蛇等の災難を除くとされています。 また、神道の猿田彦神が塞(ふさぐ)とも結びつき、「猿」が「申」に通じて同一視され、「幸神」が「庚申」とされるようになりました。神の使者である猿は三尸の虫になぞらえて、「見ざる、言わざる、聞かざる」と天帝に罪を報告させないという意味に解せられてきました。健康で延命を願う方は、庚申の日の夜参りをお勧めします。

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「略三宝」

皆さんは和尚さんが法要などで読経をしている時に、何度も同じ言葉が唱えられているのに気づいたことはありませんか?
「十方三世一切仏(じーほーさんしーいーしーふー)諸尊菩薩摩訶薩(しーそんぶーさーもーこーさー)摩訶般若波羅蜜(もーこーほーじゃーほーろーみー)」という言葉です。 「りゃくさんぼう」と読み「三宝称賛」とも言います。三宝とはいうまでもなく仏・法(教え)・僧のことです。 仏教では「三宝帰依」こそが仏教の出発点であり帰結点であると教え、読経回向の終わりは必ず略三宝を唱え「あらゆる仏様に導かれ・あらゆる尊い方々に助けられ・悟りの岸に渡りましょう」と何度も何度も繰り返し、仏道に証信してゆくのです。 お寺や自宅などでお経の最後に皆さんでお唱えしますのでぜひ覚えておきましょう。

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写経会のご案内

2月、3月、4月、6月、7月、9月、10月、11月
各第1日曜日 午後1時半から洞源院会館で。
(参加費500円)

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日常の仏教語「我慢・頑張る」

言葉は長く使われている間にまるっきり逆の意味に転じてしまう場合があります。例えば悪い意味にとられる無学とは本来、悟りを得てもう学ぶべきことはないという意味なのです。

逆に良い意味に使われているのが「ここは我慢しよう。こらえよう、我慢だ我慢だ」と使われ、我慢とはこらえることとなり、辛抱や忍耐と同義のようになっていますが、本来、四大煩悩の一つでは思い上がりのことです。

我慢とは、中心に我があると考え、他を下げ荒む心をいいます。そして我が強ければ我を張って自説を押し通すことになり、頑強にして屈しないところから頑張るという言葉ができたようです。本当は我慢強くて頑張る人とは、他の人に耳をかさぬ救いようのない人のことでした。

今日では意味が逆転しているので、我慢とは我を抑えること、頑張るとは我を張らずに本物を見極めるよう努力することでなければなりません。

私達の心の中には常に思い上がりのがあります。煩悩に振り回されないようにお互い気持よく暮らせる社会を築きたいものです。

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活動報告(平成28年5月~7月)

5月7日 東北大学留学生研修 正午~
5月8日 花まつり 仏の教えを聞く会 午後1時半~
5月11日 東日本大震災犠牲者慰霊行脚「祈りの道」 洞源院総括供養 曹洞宗東北管区教化センター主催  正午~
5月16日 東北大学臨床宗教師講座 会場提供 午前10時~
5月18~19日 全国梅花流奉詠大会(富山) 
5月21日 護持会役員総会 午後2時~
5月24日 十三教区総会・女川照源寺会場 
6月15日 特派梅花・龍洞院会場 午前9時~
6月18日 護持会研修旅行・盛岡報恩寺 午前7時半出発
6月19日 浜供養 志津川
6月30日 特派布教・多福院会場 午前9時~
7月31日 浜供養 歌津

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行事予定(平成28年8月~12月)

お盆の清掃奉仕 午前8時~
8月7日 叢林舎総会 午後1時~
8月13日~15日 お盆供養 
8月17日 山門大施餓鬼会 
8月26日~27日 ひがし保育園お泊り会場 
9月1日 敬老の集い 午前10時~
9月13日 宮城梅花大会 仙台市体育館
10月8日 寺子屋寄席 午後6時半~
10月20日 中国深圳弘法寺表敬訪問 
12月8日 成道会 仏の教えを聞く会 午後1時半~
12月11日 年末清掃奉仕 午前8時半~
今後の行事は年間行事のページをご覧下さい。

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洞源院裏山防災工事

工事中、上の駐車場が使用できなくなっておりご迷惑をお掛けしております。山門下か、ホテル駐車場をお願いしております。

工事完了予定は十一月となっております。工事作業中は誘導員の指示に従って往来して下さい。完了後は駐車場が拡張されます。

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第二十四回寺子屋寄席「三笑亭夢花師匠独演会」

10月8日(土) 午後6時半~ 木戸銭 1,000円

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第41回 曹洞宗青年会 東北地方集会 宮城大会

「まごころに生きる」
平成28年11月9日
仙台サンプラザホール
入場1,500円

第一部
東日本大震災七回忌法要
大本山総持寺貫首 江川辰三大禅師
第二部 復興祈念行事
三重県曹洞宗青年会有志の和太鼓集団「鼓司(くす)」演奏
第三部
追悼復興コンサート 南 こうせつ

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住所をお知らせ下さい

仮設住宅等から転居された方で、まだお寺に住所変更を届けていない方は、早めに現在の住所及び電話番号をお知らせください。

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編集後記

皆様にはたくさんの原稿やご意見をいただきまして、ありがとうございます。寺報紙名「なむ」は、「祈りの道を通じて感じたこと」をお寄せいただいた畠山貴晶さんの娘さんで小学校五年の畠山結衣さんの筆字を採用させて頂きました。

広報部ではこれからも、「なむ」をお寺の様子、檀家さんの声や意見など取り上げ、地域に密着したものにしていきたいと考えていますのでよろしくお願いいたします。

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