洞源院寺報なむ

第10号(平成24年1月1日発行)

願いを起こす


住職 小野﨑秀通

2011.3.11この数字は我々が生きている限り、記憶から消えることがないでしょう。又、当山が開創950年の歳であったことも忘れられない事です。3.11のこの日から東北太平洋沿岸はすべてに亘って一変してしまいました。この大震災の津波は、生命・住宅・財産そして町並みのすべてをのみ込み、瞬時に私たちの幸せを打ち壊し、混乱と絶望の脱力感だけが残されてしまいました。しかし、たとえ避難生活を送ろうとも、仮設住宅に住まおうとも、2万人の犠牲者のためにも夢と希望を持ち、生き続けなければならないのです。

だからこそ、全国の善意ある方々が、支援物資をお送り下さりあるいは北海道、九州の遠方から車を走らせ温かい心を添えて「頑張れ」と、届けて下さいました。炊出しやマッサージ、理髪、医療班まで私達の健康を気遣い慰問してくれ、気持ちが沈んでいないかと唄を歌い励ましてくれました。NHKの「家族に乾杯」で鶴瓶師匠とさだまさしさんの慰問では心が和みました。大晦日の「行く年くる年」を洞源院から中継してくれた事は全国の人々が見守り、応援下さっている事でもあります。こうした支援や慰問が今もって続いていることは有難いことです。また、当山も毎月慰霊供養を続けていますが、各団体が各地で供養をして下さっていることもまた有難いことです。

福岡市へ震災の様子を講演に行った時も、各宗合同での慰霊供養をして頂きました。

あれからすでに10か月、被災地では先の見えないままに、未だ不安と焦燥感の中で新年を迎えている人々がほとんどでありましょう。

被災直後、渡波の瓦礫の中をかき分ける様にして一山を越えた時、以前と変わらない風景を目にして驚きました。何も変わっていないその地区の光景が、「平和で極楽浄土」に映ったのです。何も変わらない平凡な生活の中に「平和で極楽浄土の世界があったのだ!」と。

これからは、平凡でいいから「平和な極楽浄土の世界」をもう一度築く努力をしなければならないと思いました。

人間の世界は、積み木の人生だとつくづく思います。積んでは崩れて行く。それでも生きて行く限り、積み続けて行かねばなりません。その過程で、人生の機微があり、泣き笑い、愛別怨憎のドラマがあり、夢や希望が生まれてきます。

大いなるみ仏の見護る中、今年も「平凡な極楽浄土の世界」を夢見、祈りつづけ、願いつづけて暮らして行きたいものです。

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大般若祈祷会

1月18日(水)午前10時半から
・設斉(食事)
・お楽しみ演芸会 ビックな人が来ます。
・祈祷会
お誘い合わせてお参り下さい。

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日常の仏教語 閻魔(えんま)

「うそをつくと、閻魔様に舌を抜かれる」と、小さい頃よく言われた事があると思います。閻魔様とは一体何者なのでしょうか。

閻魔は、インドの言葉の「ヤマ」の訳語で、人類最初の死者と言われ、死者の楽園の王でしたが、やがて死者を裁判するようになり、幽明界(冥土と現世)を主宰する地獄の盟主とされています。

日本では三回忌までに十王の冥府(冥土の役所)で裁判を受けるといわれ、その中でも代表的な死後三十五日目に裁くのが閻魔王です。

生前の罪を厳しく裁く閻魔王は本来、苦しみを代って受けて下さる地蔵菩薩であり、日本では「地獄にも仏がいる」といわれるゆえんです。

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「み仏の御意(おんこころ)に従う」

実行委員長 仁杉圓一郎

大震災の為に、開創記念行事への全ての準備活動が止められ、9月の主行事も行えるか否か、仏様に心胆を試されている心地でしたが、仏様への報恩と感謝に、中止や延期や後退はないという決意で、遅れた準備を取り戻そうとスタッフ全員で総力を上げ、前進しました。一人ひとりのスタッフを信じ、全てを委ね、持てる力を出して頂く様祈るのが私の役目でした。

2日に亘る洞源院開創950年記念の各行事や事業も、皆様方の多大なご協力とご尽力を頂き、又、天気にも恵まれ、ほぼ予定通り無事円成できました。

檀家の多くの方々が被災者となり、苦悩の生活の中で生きなければならぬ身となりましたが、この行事のお陰で仏様と向き合う機会を得られましたことに、唯合掌あるのみです。









講演いただいたさとう宗幸さんから、講演料を御寄附いただきました。今後益々のご活躍をご祈念申し上げます。

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「早期復興を願う」

米谷行弘

昨年3月11日の巨大な津波により、東日本の海岸一帯は目を覆う様な惨状と化し、全ての道路は瓦礫で寸断され、又、ガス・水道・電気等のライフラインも断たれ、先行きどうなるのか一抹の不安を覚えた時期もありました。あれから10か月経った家々は自立に向け動き出し、町を行き交う人々も、車も以前のように賑やかになって来ました。

しかし、石巻近辺においては、漁船の被害や漁具等の流失が極めて多く、水産物減少に加え、地盤沈下で着岸も制限される有様となっています。ゆえに一刻も早く岸壁のかさ上げ工事をして欲しいと思います。それによって、漁獲、水産物の水揚げが盛んに行われ、それに関連した冷凍・冷蔵、加工販売や流通業者等の企業が活気づいてくるのです。

そうすれば多くの地元雇用に繋がり、息吹の漲る港風景を取り戻す事ができるでしょう。そして住み良く安心して働ける災害に強い町にしてほしいと願います。

願わくば、み仏のご加護を…。

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「九五〇記念行事の感想」

開北地区 桜井勝子

「あー、お父さん、今日の和尚さんの法話をお聞きしていたら、小竹の山居時代から仁田山に移るまでのご苦労の様子が想像されて、有難さが身に染みたし、生前『お寺に行ってたくさんご馳走になって、タイの人達の踊りも見せてもらったから、お母さんお礼に行ってきてね。』って言ってたことの意味がやっと分かったよ。タイの女の人達が優雅に踊っているようなお姿を見てきたということも本当だったんだね。本堂内を見回したら、それらしいお姿をした木彫の像があったから、尚更驚いて最後まで涙が止まらなかったよ。」と、帰宅後に仏壇の前で昨年他界した主人に聞かせた最初の言葉でした。

私自身も小竹浜から開北へ転居して35年になりましたが、先代住職様とおばさんには、義母が梅花講の一員だったので大変お世話になりました。

しかし、今こうして振り返ってみると、山居から小竹浜までの道は、石ころだらけで険しく、大人が一生懸命歩いても3~40分はかかる大変な山道でした。そこを大和尚さん、おばさんが仏事で下りて来られ、子どもさん方は小中学校へ通われていました。

現在のお寺とのあまりの違いに先代の和尚さんのご苦労もさることながら、それを支え続けられたおばさんの内助の功も…、

また、現和尚さんの立派なお姿を見るにつけても…、あれもこれもと次々に思い出されるものがあり、法話を拝聴している間中涙が止めどなく溢れ、感極まっての帰宅となった意義深い日でした。2日間、本当にありがとうございました。

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「お寺さんとのつながり」と「九五〇の一言感想」

大橋地区仮設  宍戸つな子

私が初めて洞源院に救いを求めたのは、28年前のことでした。10歳だった次男の病名がはっきりせず、不安な毎日だったので、お寺に相談した結果、先代住職様と現住職様は、快く祈願の経文を唱えてくださいました。

もう一つの出会いは私自身が53歳のある日のことで、子宮癌の疑いから原因不明の歩行困難に陥った時、隣家の奥さんを通して永平寺参拝に連れて行っていただくよう決めたことです。

何故なら、その日の朝方、夢うつつの中、実家の寺にいた私を亡くなったはずの祖父が「帰れ」と怒鳴るし、生存中の叔母が大声で私の名を呼ぶし、はたまた隣には白装束で背中一杯にお札を貼った小さな丸顔のお爺さんが座していたり…と実に不思議な夢を見たからです…。

永平寺では不思議なことに足の痛みも忘れて歩くことができました。貫首様にお目にかかれた時は、「夢の中でお会いした方だ」と確信し、体の震えが止まらず、ありがたくてただただ涙が流れてきました。それから、宍戸家と実家の先祖供養を終え、参加した皆さんと記念撮影をしました。その時の写真は、私の最も大切な御守りとなりました…。

最後になって大変恐縮に存じますが、今回の記念行事が中止にならなかったことに、改めて感謝申し上げます。この度の震災で亡くなった友人知人のことを知り、ご冥福をお祈りしたいと思ってもままならずにいたので心を痛めていましたが、行事の中で震災供養の機会をいただき、家族3人で出席させていただきました。本当にありがとうございました。

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 「息子が眠るお寺」

祝田地区 阿部ふさ江

あの日の朝、息子は水道工事現場の北上町女川に出掛けて行った。黒いジャンパーを着て…
場所が場所だけに、津波に遭うとは夢にも思っていなかった。
しかし、3日過ぎても連絡が取れず、焦ってきた。
6日目の朝、息子が買ってきた植木鉢のそばに、黒いジャンパーを着た息子が立っていた。
「キン!」息子の名前を呼んだらそこには誰もいなかった…。
そして10日目、河北警察署から「冨士沼で遺体が発見された」という知らせを受けた。
悲しい、本当に悲しい対面だったが顔に傷みはなかった。
我家では初の仏様、どうしてよいか困っていたが、洞源院にお世話になると決めた。
ご住職は親身になって、山形の火葬場を紹介して下さり、息子は同僚と共に荼毘にふされた。
洞源院の納骨堂に安置させて頂き、月命日等にお参りに行きますが、沢山の避難者がいるにも関わらず、ご住職は丁寧にお経を唱えて下さる。ありがたかった。
36歳の息子が結んでくれた洞源院とのご縁。
やむを得ず身内だけでの葬儀だったけど、一周忌の折、友達やお世話になった人達とお別れ式をしようね。「キン」。
優しいご本尊様に抱かれて、安らかに休んでね。

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九五〇記念品授与

未だ開創950年の記念品を受けていない方は、ご連絡下さい。 なお、輪袈裟、お守りカードを、さらに希望する方には、お寺で販売しております。

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住所確認についてお願い

大震災により、お住まいを移されている皆様は、ご面倒でも現住所、電話番号をお知らせ下さい。

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活動報告(平成23年8月~12月)

8月13~15日 お盆供養(お寺で実施)
8月17日 大施食会(大施餓鬼会) 午前10時半

9月17~18日 開創九五〇年記念行事 
9月25日 彼岸 十一面観音永代供養 午後1時半 愛々動物供養 午後2時
10月27日 第19回ちえぶくろ寺子屋寄席 午後2時
11月12日 仏の教えを聞く会 清風会講演 講師 無着成恭老師 午後2時
12月31日 除夜の鐘 塔婆・お札等のお焚き上げ供養 午後11時

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行事予定(平成24年1月~5月)

1月18日 大般若祈祷会 午前10時
2月11日 おねはん会 仏の教えを聞く会 午前10時
3月11日 東日本大震災一周忌合同供養 午前11時
3月17日~20日 彼岸会供養(お寺で実施) 
3月23日 十一面観音彼岸会 永代供養 愛々動物供養 午後1時半
5月20日 仏の教えを聞く会・花まつり 午前10時半
5月20日 護持会役員総会 午後2時
※東日本大震災巡礼浜供養への皆さまの参加をお待ちしております。


行事予定の日時は都合により変更の場合もあります。
今後の行事は年間行事のページをご覧下さい。

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編集後記

東日本大震災で多くの人達が仮設住宅や借家にと、散り々になってしまいました。 また家族や友達を失い、或いは職を失う等、生活が一変してしまい、何かと大変な時期に皆様には、たくさんの原稿やご意見をいただき誠にありがとうございました。 広報部も全員が揃っての編集がなかなかできませんでしたが、何とか10号を発行することができました。 今年は明るいニュースをたくさんお知らせしたいと願っております。

後藤和男

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