洞源院寺報なむ

第30号(平成30年8月1日発行)

人生に『修証義』をその5

住職 小野﨑秀通

受戒入位②

仏法僧の三宝に帰依する戒=三帰戒は信心の戒です。「信は道の元なり功徳の母なり」といいますが、信は人生を歩んで行く上に大切な道標です。善行を積み重ねる功徳の母体となるものです。まず三帰の心を起こすことです。三帰の信心さえ起こすことができれば、次の三聚淨戒(さんじゅじょうかい)、十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)も自ずと守ることができるはずです。三帰戒は信心からの自発的な行為ですから、他の戒も三帰戒が深まるように自発的に真心からの行為でなければなりません。

三聚淨戒は誓願の戒です。第一摂律儀戒、摂は整える、たすける事で、律儀は威儀を整え、実直な行いをすることですから、三帰を信心する者として、悪しき行いは決して致しません。

第二摂善法戒は三帰を信心する者として、善行を真心尽くして勤めます。第三摂衆生戒、衆生とは生きとし生けるもののことですから、三帰を信心する者として、人々のために救いの手を差し伸べ、真心尽くして勤めますと菩薩の誓願をすることです。人のために善行を尽くすと脳が活性化してやる気が起こると、脳科学者が指摘しております。

次に十重禁戒は実行の戒です。第一不殺生戒は無益な殺生をせず、命を活かす。第二不偸盗戒は与えられざるものを盗らない。第三不邪淫戒は不倫の行為をしない。第四不妄語戒は嘘偽りを言ってひとを騙さない。第五不酤酒戒は迷いの酒に溺れず、思想に溺れない。第六不説過戒は他人の過ちを責めない。第七不自讃毀他戒は自画自賛し、他人をそしらない。

第八不慳法財戒は教えや財を惜しまない。惜しむ時心が貧しくなる。第九不瞋恚戒は怒りを起こさない。怒りは三毒煩悩の一つ。第十不謗三宝戒は三宝をそしらない。

以上の戒は諸仏が守り続けてきたものです。その仏戒を受けた人は己を整え、やがて諸仏の位に入ることができ、諸仏の御子となるのです。

ただひたすらに戒を守ろうと仏道に励めば、自ずと覚りに導いてくれるものです。戒を保って執着のない生き方をしたときに、全てに計らいを超えた、真の功徳は現れ、功徳を得ようと思わなくても、自然と計らいのない功徳がついてくると言うのです。

しかし、一つ一つの戒を守ろうとしなくても、我は仏なりと自覚さえすれば、実は自然に戒は保たれるのではないでしょうか。十重禁戒全てを守ろうとしなくとも例えば、不殺生戒の無益な殺生をせず、相手の命を害してはならないと気づく生き方を徹底することが出来るならば、他の戒を意識せずとも仏の命を生きていることになります。 自分の行動に対して「これ、仏の道だろうか」と問いかけつつ、生きていくことを提案したいと思います。

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【読者の広場】

「金華山」

海辺山人

金華山山頂は牡鹿半島で一番高い海抜445メートルの山で、どの方角から眺めても三角形の頂きを見ることが出来、頂きには海上安全・大漁豊漁の守護神として大海神社・市杵島姫神(仏号・辯財天)が祀られております。

黄金山神社の裏手から登っていくと途中に菩薩・如来が祀らており神仏習合時代には金華山大金寺として多くの信仰を集めた名残があります。

金華山大金寺は東奥の三大霊場(出羽三山・恐山・金華山)として修験者が修行を積み、金華山信仰を各地で広めていったとの事です。また金華山は、神奈川の江ノ島・広島の厳島・滋賀の竹生島・奈良の天河と共に日本五大辨天の霊地ともされています。

洞源院の山門を入って右側のお堂に、廃仏毀釈により金華山大金寺から遷座された辯財天が祀れております。

島内はかつて観光桟橋から百畳敷、灯台、千畳敷を経由して大函崎まで車が走れる道がありましたが、大震災と台風の被害によるがけ崩れ倒木等によって徒歩でも通行が困難な状況となっています。

金華山灯台は、沖合を進む北海道及び北米へ向かう船舶にとっては非常に大きな目印となる灯台で、特に北米航路の船舶はシアトルやサンフランシスコを出港すると、ひたすら金華山灯台を目指すコースを取り、遠くに輝く金華山灯台の灯火を見て、乗組員は日本にたどり着いた感概に浸るといわれています。

灯台は2017年に国の登録有形文化財に指定されており、天平時代から霊場として信仰され、近代では船舶航行の重要な目印となっております。

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「檀信徒集会に参加して」

笹野 敬治

第四回曹洞宗宮城県檀信徒集会が七月十一日、仙台サンプラザホールを会場に、県内外の檀信徒が、一堂に集い「伝えよう、響き合う心といのち」をテーマに盛大に開催され、洞源院からは護持会役員等三十名が参加しました。

八年ぶりの開催とのことでしたが、宮城県宗務所長を勤められ、今年いっぱいでその任を全うされる洞源院ご住職の集大成ともいえる大きな事業でもありました。

開会式では、ひがし保育園の年長組二十名が、曹洞宗々歌が斉唱される中、献灯献花の大役を厳かに、そして堂々と行いました。

洞源院ご住職の凛とした式辞では「少子高齢化、核家族化が進み無縁社会とまで言われ、信仰の断絶が危惧される中、各家庭での信仰を受け継ぐ大切さをこの集会で感じて頂きたい」と切々と話されるお姿に感動しました。

曹洞宗管長江川辰三禅師による東日本大震災物故者並びに自然災害物故者追悼諷経が行われましたが、折しも西日本豪雨災害で犠牲になられた多くの方々に思いを馳せ合掌しました。

さらには、埼玉県吉祥院住職の丸山劫外老師による「あの世との共生」と題した法話では「人間は誰でもあの世に帰るもの、あの世で喜べるように、喜べる生き方をしよう。来世の命を思い、今世で善をできるだけでいいからしよう」等とありがたい話を拝聴することができました。

そして第三部では、大学日本一の誉れ高い駒澤大学マーチングバンドとカラーガード隊による素晴らしいステージドリル演奏に魅了されました。

今回は会場の関係で、人数制限もありましたが、曹洞宗の始祖、道元禅師様の教えを受継がれる多くの老師様方の有難いご法話をお聞きすることは、自分自身を振り返るいい機会にもなると思いますので、近くで行われる法話を聞く会等への参加お勧めします。

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両親の為に観音像製作

住職 小野﨑秀通

思いやり地蔵尊寄贈者の静岡県島田市の仏師、鈴木誠司氏宅を訪ねました。五月二十三・二十四日と御詠歌の全国大会が静岡市で開催され、大会に参加した機会に、鈴木氏にお礼と製作の想いをお聞きするために寺族美紀と訪問しました。

思いやり地蔵尊を作るきっかけは、東日本大震災の惨状を知り、犠牲者が余りにも多く出たことに胸を痛めていたところ、知人から頂いた美紀著の『あったかい手』を読んで行くうちに、暖かく穏やかな気持ちになることができた。そこで仏像を作る気になり、最初に代受苦の地蔵尊を作り、知合いを通じ岩手県山田町に寄贈することとなった。更に仏像製作を続け、石巻たから保育園に釈迦誕生仏を、そして洞源院に思いやり地蔵尊を御寄進頂いたのです。

昭和四十五年、母が急逝し、母への想いが強く、母のために何ができるかと思うが、すでに亡く、そこで母の面影を作ろうと考え、観音さまだと思いつき、早速菩提寺の住職に相談すると、それは良いことをなさると言われて、大きな観音さまを製作することに決めた。ところが、鈴木氏は大工を生業としていたので彫刻は初めてです。二・五メートルの大作に取りかかり、二年もしないうちに行詰まり、悩みながら彫刻家を訪ね指導を受けての苦労の挙句、二十年がかりで完成し、菩提寺に奉納されたと言うことです。この間、父親も亡くなり両親の供養のために念願の観音菩薩が完成した。

以後、新聞等に紹介され、知れるところとなり、中国の観音霊場、普陀山や京都黄檗宗大本山萬福寺への奉納依頼があり、観音像を製作し続けたということです。今日も日々の製作が続いておりますが、心臓弁膜症の持病があり、遠出ができなく、直接奉納ができないのが残念だと悔やんでおりました。

御仏の孝順心・慈悲心の発露が観音、地蔵菩薩の製作となったものと敬服し、別れを惜しみつつ帰山しました。写真の像は地元の滑らず地蔵を製作し贈呈頂いたものです。

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盆供養は日本人の心

「盆はうれしや 別れた人も 晴れてこの世に 逢いに来る」

夏の風物詩であるお盆行事は、私たち日本人の心のふるさとに帰る大切な行事です。

日本文化の源流が仏教にあることは言うまでもありません。

日本は、聖徳太子の十七条憲法が「和を以て貴しとなす」以下仏教を基に作られ、聖武天皇は国家仏教を提唱して全国に国分寺を建立して国の安泰を願い、政(まつりごと)に専念してより、明治を迎えるまで天皇はもとより日本人のほとんどが仏教を信奉してきた仏教大国です。この歴史・文化・宗教を大切に受け継いでゆかねばなりません。

しかし、近年、人々は人生の目的が経済、お金になってしまった感が否めません。お金があれば何でも出来ると思い込んでいる人の何と多いことか。ですから、神仏を祈る気持ちが薄れているようです。「人を殺してみたかった」「ムシャクシャしてたから」などと恨みも関係もない人を傷つける若者の心の闇がジワジワ押し寄せて来ています。

お盆の行事を行うことは、憎しみ恨みを鎮め、心を和らげ、親、先祖に対する感謝の心を育むことととなり飢渇の心が静まり安らげる暮しができるようになります。

お盆の由来は、当にそこにあります。お盆は盂蘭盆と言い、逆さまに吊された苦しみから救われて、成仏することができたことにあります。それはお釈迦様の弟子目連の母が、餓鬼道に落ち苦しんでいることを知り、母を救う方法をお釈迦様に請いました。その教えに従って、布施供養を僧侶や多くの人に施しをした七月十五日は先祖供養の大切な日となったのです。当山では、十三日~十五日盂蘭盆法会を執り行います。

震災前は各家庭を回り棚経のお勤めをさせて頂きましたが、檀家が点在し遠距離となってしまったことから、寺にての供養とさせて頂いています。

また、十七日の大施餓鬼会は、お盆の先祖供養へのお礼参りでもあります。大施餓鬼会は多くの苦しむ御霊の救済の供養であり、その功徳をもってご先祖様に追善を手向け、回向とするものです。お盆と共に大施餓鬼会も忘れずにご参詣下さい。

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お盆供養のご案内

お寺でお盆供養を済ませ、お墓参りをしましょう!

8月13日(月)
午前の部 7時・9時・11時
午後の部 1時
14日(火)・15日(水)
午前の部のみ
7時・9時・11時

※お盆供養申込み用紙(青色)にご記入の上ご持参下さい。

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山門大施餓鬼会のご案内

各家先祖精霊供養
お盆供養とは別にお参り下さい。
8月17日(金)
午前10時30分~
設斉(食事供養)
11時~
法話
12時30分~
大施餓鬼会法要

※お施餓鬼申込用紙にご記入の上ご持参下さい。 

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活動報告(5月~7月)

保育園児花まつり
5月8日
護持会役員総会
5月18日
東北大留学生研修会
5月19日
13教区寺院総会・照源寺
5月22日
全国梅花流奉詠大会・静岡市
5月23~24日
13教区護持会総会・照源寺
6月4日
フェンス解体(貰い受け)
梅花流講習会
6月13日
特派布教・宮殿寺
6月28日
ちえぶくろの会総会
6月29日
檀信徒集会・仙台サンプラザ
7月11日

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行事予定(8月~12月)

お盆の清掃奉仕
8月5日(日)午前8時~
叢林舎総会 
8月5日(日)午後2時~
お盆供養
8月13日(月)~15日(水)
山門大施餓鬼会
8月17日(金)
お泊まり保育
8月24(金)~25日(土)
敬老の集い
9月22日(土)午前10時~
永代供養
9月23日(日)午後1時半~
愛々動物供養 
9月23日(日)午後2時~
宮城県梅花大会(仙台サンプラザ)
10月4日(木)午前9時~
寺子屋寄席
10月20日(土)午後2時半~
成道会 保育園児
12月7日(金)午前10時~
年末清掃奉仕 午前9時~
12月9日(日)午前8時半~
成道会 仏の教えを聞く会
12月9日(日)午後1時半~
護持会役員会
12月16日(日)午後2時~
お焚き上げ・除夜の鐘
12月31日(月)午後11時半~

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お掃除ボランティア


スペイン留学生アンソニー氏

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曹洞宗本山特派布教

特派布教が六月二十八日に渡波の宮殿寺を会場に開催されました。

第十三教区(石巻地区二十八ヶ寺)の各寺院檀家の方々が天候に恵まれて百三十余名が集まりました。洞源院からは二十名が参加しました。

九時三十分から宮殿寺住職の挨拶で始まり、開講式がありました。講師は島根県出雲市常光寺住職野津雅史老師で「仏の感性・仏の生活」と題し講演されました。

曹洞宗江川辰三管長の告論を野津雅史老師が読み上げ、分かりやすく詳しく解説して下さいました。また、椅子坐禅や大切な人々を想い起こさせる「逢いたい」の歌、老師の言葉「感謝に勝る能力なし」など、実生活に直接関係する内容で、参加された皆様は熱心に聞いていました。

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転居先情報を求めています

仮設住宅等から転居された方で、まだお寺に住所変更を届けていない方がいます。ご存知の方は情報を提供して下さい。

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編集後記

地球の温暖化が要因なのか毎年のように日本列島各地で自然災害が続いています。今年も天候不順で梅雨時期なのに雨が少なく暑い日が続いていると思っていたら、西日本で数十年に一度の大雨で大きな被害と多くの犠牲者が出ました。台風も多いようで心配です。

石巻湾では、「種がき」の準備が始まって、ホタテの貝殻を針金で通した原盤が岸壁のいたるところに積んであります。

輝寳山洞源院寺報「なむ」は平成二十年の八月から始まって十年になりました。東日本大震災で一時中断されましたが、広報部及び檀家の皆様にお忙しい中、編集に御協力いただき続けてこられました。誠にありがとうございます。お陰さまでこの度、三十号を発行することができました。「読者の広場」などこれからも檀信徒の皆様にご意見等をお伺いし、身近な話題も取り入れていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

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