洞源院寺報なむ

第29号(平成30年5月1日発行)

人生に『修証義』をその4

住職 小野﨑秀通

受戒入位①

修証義では「深く仏法僧の三宝を敬い奉るべし」と三宝に帰依することが、仏教徒の最も大事な根本だと説きます。仏教徒とは三宝に帰依する者のことです。仏とはブッタといって悟った方、即ちお釈迦様のことです。法とは、お釈迦様のみ教えです。僧とは僧伽といって、お釈迦様のみ教えを学び修行する人達のことをいいます。また帰依とは、帰投依伏といって無私となって身も心も投げ出して敬い信じることをいいます。

お釈迦様に帰依することは、仏教徒であれば誰でも当然のように思いますが、日本仏教では法に帰依すること、み教えを学ぶことが足りないように思います。
キリスト教は聖書、イスラム教はコーランが信仰の根本として日常生活が実践されてます。
しかし、帰依を一歩間違えると、とんでもない教えに従ってしまい、殺人さえ犯してしまうこともありますから、宗教に対して嫌悪感や恐怖心を抱いてしまう事例が幾つもあります。しっかりとした法を学んでいれば、間違うことはないのです。
仏教では、八万四千の法門といわれるように、多数の煩悩を制するために、多数の教えがあって難しいように思いますが、お釈迦様が一人ひとりの相手に分かるように、親切を尽くして法を説いて下さったので、たくさんの経典になったのです。
お釈迦様が説かれた大事なエッセンスを『修証義』から学んでいただきたいとの思いでこのシリーズで伝えています。
法はたくさんのみ教えがありといえども「帰依法離塵尊(きえほうりじんそん)」といって、煩悩の汚れを離れて清らかな命となるようにと説かれています。
この自分が自分の人生を歩むように、お釈迦様のみ教えを学び行ずることができるのは、自分自身です。生老病死の苦から、自身を開放しうるのは、自分自身の身心にあります。
これを教えて下さったのはお釈迦様です。
そのみ教えが法です。
それを教えに従い修行しているのが仏弟子である僧です。
この三宝に帰依するところに、真の安らぎがあり、寂静無為の安楽があります。
三宝に帰依することが何よりも大事ですが、心に思うだけでは駄目です。私たちの行為は、悪いことも善いこともすべて身口意の業(行為)から生じています。

三宝帰依も、合掌礼拝することは身業で、唱えることは口業で、淨信の心は意業で、この三業で表すことによって、初めて「三宝帰依をした」といえるのです。きちんと合掌し、頭を下げて、声に出して唱えましょう。
南無帰依仏(なむきえぶつ)
南無帰依法(なむきえほう)
南無帰依僧(なむきえそう)

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第四回曹洞宗宮城県檀信徒集会 ~伝えよう、響き合う心といのち~

午前九時半洞源院集合
バスで会場まで移動致します。(昼食はバス内にて、お弁当を準備致します)
参加費千円
※参加ご希望の方は、お寺までご連絡下さい。定員三十名

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【読者の広場】

ふるさと探訪「大六天」

千葉勝紀

宮城水産高等学校の校歌は「大六天の山高く・・(以下省略)」と始まります。渡波の町から見ると万石浦の東側に高くそびえていて山頂は女川町と石巻市の境に当たります。

標高は四三九メートルで金華山(標高四四四メートル)より五メートル低い山ですが、存在感があります。

山頂から南東側には三国神社が祀られているのが地図上に記載されています。現在、山頂付近に東北電力の通信塔があるので、山頂より通信塔の方が高い状況となっており、大六天を挟んで北側と南側の二系統送電線があり点検用と思われる林道が山頂近くまで延びていますが、登り口には、通行止めの案内があるので注意が必要です。

「みちのく潮風トレイル」のルートでは小乗浜~大六天駐車場(コバルトライン)~山頂~針浜がありハイキング可能ですが、牡鹿半島内では鹿が異常に増えたのに伴い山ヒル、ダニ等も増えているので、それらがいない間の冬場(蛇とか虫もいない)がハイキングに適しているようです。

※みちのく潮風トレイルとは
青森県八戸市から福島県相馬市までの海岸線を中心に設定されるトレイルコースです。
トレイルとは森林や里山、集落などを通る「歩くための道」のことです。(環境省)
★みちのく潮風トレイルのホームページはこちら

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「恩送り」

大木独活

ようやく六七歳になりました。「人は人によって支えられ生きている」と言われるとおり、産まれてくる時から既に助産婦さんの手で支えられたはずです。
それ以降、ずーっと誰か彼かに親切を受けて生きている。
そのお陰で今の自分があるとしみじみ感じられるようになりました。

「恩」という字は口と大と心から成っています。口は環境、大は人が手足を伸ばしている姿、何のお陰でこのようにして手足を伸ばしておられるかと思う心が「恩を知る」ということになると漢語辞典にあります。

もの心がついた時から「恩を受けたらちゃんと返しなさい」と言われてきました。
でも、いざ恩を返そうと思っても、自分がこの歳になるとお世話になった方々も、既に極楽浄土に旅立たれた方が少なくありません。
「親孝行したいときには親はなし」のことわざどおりです。
そんな時に知ったのが「恩送り」という言葉です。

人から受けた恩は、その人に返すだけではない、別の人々にどんどん送っていく。その恩が次々と繋がり広がっていきます。
例えば、自分が三人に親切にして、その三人の人がそれぞれ別の三人に親切にしていく。そうすることによって「恩」が世の中をぐるぐる回っていくのです。

悩んでいる時、悲しい時、あるいは苦しい時に、他人のさり気ない言葉や行動に救われた。それが「恩」なのです。

お陰様、お世話様、お互い様と思う心の根っこに恩があるのではないでしょうか。

その様に自分がありがたかったと感じた気持ちを他の人に「恩送り」として実行する。

さり気なく、気負うことなく、恩着せがましくなく、優しい笑顔と言葉で「自分にできることを、できる時に、できるだけ」私はそんな風に「恩送り」をしたいと思っています。

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思いやり地蔵

二月の始め、静岡県焼津市の仏師、鈴木誠司氏から、地蔵尊を寄進したいとの電話をいただきました。
鈴木氏とのご縁は「石巻たから保育園」開園の時、焼津市風の子保育園々長沢口氏の紹介で、釈尊誕生仏を寄進いただき ました。

鈴木氏は東日本大震災に心を痛められ、その犠牲者の慰霊と復興を祈りながら「代受苦の地蔵尊」を彫り続けてきたそうです。これまでに願いを込めて納められた地蔵尊は三体、そのうちの二体は岩手県高田市と大船渡市の寺に奉納されたとの事、当山には釈尊誕生仏のご縁で、奉納いただくことになりました。三月十一日に大震災七周年に、直接持参して奉納したかったけれど、体調不良で長旅が叶わず、止むなく地蔵尊だけ送らざるを得なかったと残念がっておられました。

送られた地蔵尊の大きさは八十センチ程、その他に小さな地蔵尊が三体と表示用の立て看板が入っており、手紙には住職さんに名付けていただきたいとありました。

また小さな地蔵尊はご縁がある方へとの事でしたので、希望者へ差し上げることができました。

問題は何と名付けるか、十一日には名付けて開眼供養をしなければなりませんが、名前を幾つか考えましたが当日まで決まらず、開眼法要の一時間前に「思いやり地蔵尊」と決定させていただきました。

震災で多くの犠牲者を出し、津波によって居住財産を根こそぎ失い、失墜に喘いでいる人々を元気づけるには、お互いに寄り添い、いたわり、励まし合う「思いやり」がなければ、真の復興は叶いません。

また別便では「福幸願」と書かれた小さな袋に可愛らしい地蔵顔のお守りがたくさん送られてきました。復興を込めて作られたそうです。
十一日に復興祈願、追悼法要に参加した方々にお配りさせていただきました。
皆様も一日でも早い復興を願いお参り下さい。

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供養の心得

見えなくともお花を供えよう
食べなくとも美味を供えよう
聞こえなくとも語りかけよう
見えない者への真心は美しい

亡くなられた良寛様を、愛弟子である貞心尼が供養した胸の内を歌っています。

「哀れみて受けさせ給え、あと慕とふ僅かばかりの今日の手向けを」と、大切なおっしょう様への真心の供養をしたいという気持ちが表れています。

供養とは、もともと梵語の「プージャー(尊敬)」を意味する言葉の訳で、日常生活の中で仏様や菩薩様などに対しての尊敬の念から香華、灯明、飲食などを真心を込めて捧げることをいいます。

供養は、本来「供給資養」といい、仏法僧の三宝に供え物をし、死者の霊を養いたすけるという意味になります。
日頃、自宅の仏壇に生花を供え、水を取り替えることも、お線香を上げることも、お茶とお水とご飯をお供えし、合掌することも、全てがご本尊様とご先祖様への供養であり、さらに亡き人への追善供養でもあります。
仏教的には、事細かな教義がありますが、供養するうえで最も大切なことは仏様や菩薩様、亡き人の遺徳を敬うことであり今生かされていることに報恩感謝し、清く落ち着いた心で日々の善行を尽くすことです。

また、年忌法要には、塔婆供養と法事による供養がありますがいずれの場合でも余裕をもってお寺と日程調整をして下さい。

準備する物は、塔婆供養を行うときは、香華(線香・生花)と供物(菓子・果物)を。法事を営むときには、これに加えて仏膳と白玉団子を供えます。
敬意を表すために礼服を着て参列しましょう。

なお、葬儀、告別式の後、百か日供養まで行われることが通常となっています。四十九日の間、亡き人の縁者が、足を運ぶのが難儀であるという現状から便宜を計らい行われるものです。七日毎の供養は、お寺から塔婆をいただきご供養のうえ、遺族がお墓参り等を行うことは、従前から変わらぬ方法です。

七七日(四十九日)や百か日に読経法要を行う場合には、お寺に事前に相談してください。

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活動報告(1月~4月)

三朝祈祷 
元日~3日
大般若祈祷会
  1月18日
お涅槃会
  2月17日
東日本大震災合同供養
 3月11日
春彼岸供養
 3月18日~21日
11面観音永代供養 愛々動物供養
 3月21日
花まつり・仏の教えを聞く会
 4月8日
石巻グリーングローブ会総会
4月22日

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行事予定(5月~7月)

保育園児花まつり
 5月8日(火)午前10時~
護持会役員総会
 5月18日(金)午後2時~
東北大留学生研修会
 5月19日(土)11時~
13教区寺院総会・照源寺
 5月22日(火)午後2時~
全国梅花流奉詠大会・静岡市
 5月23~24日
13教区護持会総会・照源寺
 6月4日(月)午後2時~
梅花特派講習・法山寺
 6月13日(水)午前9時半~
本山特派布教・宮殿寺
 6月28日(木)午前9時半
東北大学留学生研修会
 7月7日(土)正午~
檀信徒集会・仙台サンプラザ
 7月11日(水)

※行事予定の日時は諸事情により変更する場合があります。

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花まつり

お釈迦さまがネパールのルンビニーという所で誕生されたのは、およそ2500年前の4月8日、旧歴ですから、今年は5月22日になります。

お釈迦さまは、誕生されたことによって私たちに命の尊さを教えてくださいました。
「天上天下唯我独尊」と誰もが知っている言葉ですが、自分だけが大事だと言っていると間違った考え方をする人がいます。 漢文をそのまま読むと確かに「この広い世界の中で、私が最も勝れている」となり、ここで誤解が生じます。しかし、この後にも句が続くのです。
「3界は皆苦なり、我当に之を安ず」とあります。
この「唯我独尊」はナンバーワンのおごりではなく、オンリーワンの人格の尊さを示唆しています。掛け替えのない絶対の1人という意味なのです。
そして「この3界家宅の人生の中で、悩む人々を安らかにしよう、そのために私はこの世に生れてきたのだ」とのお釈迦さまの誓願を象徴したのが誕生の偈(げ)です。

命の尊さを「花」で象徴しています。
自分の仏心は「心の花」なのです。
「心の花を咲かせるように」と教えてくださったのがお釈迦さまなのです。
そのお釈迦さまの誕生を祝しお釈迦さまの教えを学ぶ誓いから、4月8日を仏教徒は「花まつり」と讃えているのです。

洞源院の恒例行事「花まつり」に是非ご参加して下さい。

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転居先情報を求めています

仮設住宅等から転居された方で、まだお寺に住所変更を届けていない方がいます。ご存知の方は情報を提供して下さい。

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編集後記

今年の冬は寒かったですが、暑さ寒さも彼岸までと言われる通りに彼岸の頃から急に暖かくなり、仙台では桜の開花が観測史上2番目という早さでした。

東日本大震災から7年が過ぎましたが、石巻の水産業も不漁や人手不足などで復興が思うようにはいかないようです。皆さんからよく聞く話ですが、震災で10年の歳月が一挙に進んだといいます。震災がなくても10年後は現在の状況になっていたということです。地方では過疎化や核家族化が進み、震災を境に親戚や近所づきあいなどがめっきり少なくなったような気がします。

檀家の皆様から、お寺の行事などは寺報「なむ」の行事予定を見ているという話をよく聞きます。

皆様も、お寺で行われる様々な行事に参加され、お茶でも飲みながら会話を楽しむことも、日頃のストレス発散の一助となるのではないでしょうか。

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